日は沈んでも朝日の昇るときはくる 7

 ㊴ その後の紫式部
 
 小学校の低学年の時黒板に書かれた算数の問題が分からなくて何時も二,三人残されていた。

  みんな問題を解いて出来た順に帰っているのにまた残されて何してんのかなと式部は良く思ったと言ってました。その頃は勉強の出来ない全くの劣等生でしたね。

 それが小学生の高学年の五,六年生ではクラスの委員長だったり、とても勉強熱心な小学生に大変身していた。

 何が此所までこうさせた。蝶々か鬼ヤンマか蝉か鯉のぼりか、みなを驚かせた話しは有名でした
 
 貫之さん、式部の卒業後を御存知で無いでしょう。彼女も数奇な運命に翻弄され捻られ踏み倒された人よ。中学卒業後本道吟醸市の由利女子校に入学し卒業した人です。  

 ここから式部の忙しい日が続く。神奈川県三浦三崎の市役所に就職し、夜は教員免許を取るため東京神田水道橋の日大に入学した。
 
 役所が閉まる五時に久里浜から横須賀線で大船まで行き、すぐ東海道線の快速電車〃すぐ着く象〃に乗り換え東京駅についた。

 そして快速のオレンジ色の俺俺電中央線に乗りお茶の水総武本線の各駅停車の黄色い電車〃もう少しだ象〃の水道橋で下車すると目の前に日大経済学部がある。

 距離は遠いようだが快速電車、特急電車に乗れば意外に早い。ノンストップ〃すぐ着く象〃なんかとても便利だった。俺俺電とかいい電なんて変わった名前は賑やかな都会に来たようで面白い。

  此の曲と 選んで決めた 
逞しい腕がを式部を導いていた。
 
 「ホテルカリフォルニア」のミュージックが遂に苦しそうな歌声で車内の式部の体を痺れさせる。 
 
 〃どうこれ、光源氏紫式部のサラダ記念日よ〃

 そう言う式部は幸せの絶頂、恋のハレルヤ真っ最中です。    

 それもそのはず、急がしい毎日が続いていたさなかのある日曜日、式部は名向崎の磯を眺めていた。

 山しか知らない式部に魚種のメジナ クロダイ ウミタナゴ メバル カサゴ カレイ、カワハギ イワシ アジ サバと市役所の同僚の会話が飛び交っていたのが耳から離れない。休憩時間にもなるといつも磯釣りの話題でみんなが白熱の議論を交わし騒然としている。。
 

 あの磯が穴場だ、いや餌が違う、何年三浦三崎に住んでいるんだ、議論が熱を帯びてくる。そんな様子はとても海と磯と魚が好きな昔から漁獲に恵まれた海辺の人という証だろう。

 ナメコと竹の子しか知らない山地育ちの式部には、海辺の町の人々が好奇心に満ち毎日が活気のある地域、海岸線の風景は別の世界に来たように思えた。
 
 今日も天気はいい。波も潮風もいい感じ。きっと磯釣りに出ているだろうあの人とも。と見渡すと、いたいた今日もあの人がいた。

 私のメジナクロダイのようなもんよ。一本釣りでゲットしよう。
 
 式部は道路を降りて岩肌に身を持たせながら恐る恐る男に近づく。近寄るにつれ波のしぶきが頭の上から降ってくる。

 遠くで見た目以上に、波も荒く意外と高い。近づくと様子は一変する。岩に波が砕ける震動がドーン、ドーンと重い響きとなり足と両手から伝わってくる。

 〃潮がぶつかるポイントを狙うんだ、潮目を狙うとメジナクロダイが釣れるだ〃
 
 あれれー、この人ったら私がもう後ろに来ているのに知らんぷりしている。何やら忙しく一人で大声まで海に向かって出してる。
 
 すると男はとうとう釣り糸をたぐりながらゆっくりと式部の方に振り向きながら言った。
 
 おい其処のお嬢さん、黒潮にさらわれて漂流して、青い目の人形になってアメリカ人になりたいのか、それとも黒潮の流れに逆らって貧民国のフィリピン人のお嫁さんになりたいのか。そんなとこにポツンといたりして、ジョン万次郎がさらうまえに高波にさらわれるとは奇怪な運命を待つ人よ。
 
 何よあんたー、よくぞ侮辱してくれたわね。あんたこそ岩の足場を滑らせてボドンと海の中や。
 
 クロダイの夕飯のおかずになりたいのか。それに何その顔、男前の後ろ髪と思いきや、目も顔もムツゴロウそっくりなんですね。

  そうとも鯥五郎守光源氏とは僕のこと。まるで、女に振られて困っている?、そんな風に見えるって、その逆なんですよ。ウンカの様に女が寄ってくる。蚊取り線香でも焚いて静寂な時を楽しみたいものだ。
 
 何よ、その高慢ちきな態度、許しません。
 
 旅は道ずれ、釣りは二本づり、宮本武蔵の二刀流を越えた。道元禅師の免許皆伝、心身脱落の境地今会得したり。
 
 何をいってんだか、高慢ちきに更に傲慢ち
き。 
 ははー、父が諫早の漁師だったんだよ。諫早湾干拓で大浦漁民、有明海漁民は海を追われたんだ。千百四十七人が佐賀地裁に提訴、十次提訴で原告は計二千二十九人にもなった。暗い話となった。

 かつて湾はタイラギ漁、アサリの養殖、車エビ漁、カニやシャコと水産資源の宝庫でした。

 干拓とは漁民を海から陸にぶん投げてしまう暴挙なのです。そんな中で生まれた私をムツゴロウという可愛い名前にしたのです。
 
 まあ、そうとは知らず失礼しました。私の知らないあなたのことも色々話してくれてありがとう。

 人には話せないこともたくさんあるのに初対面の人に包み隠さず境遇と心境を述べる事が出来る、そんなあなたは私にとてもいい人に見えます。

 あなたは私の遠い未来、あなたの背にする夕焼けは諫早の潮の匂いがします。
 
  そうですか、今日お会いした貴方こそ山の娘ロザリアのようです。僕はもうロシア人になります。ロシアから愛を込めて。
 
 〃男の夢さ、一本釣りは〃

 こう言いたいね。あなたは山の娘、山に登る月山の月を見て、太陽は丁岳の出羽山地に沈む。

 星も、棚引く雲も雨も風もみな山の幸が源です。これからは海の風、海から上り海に沈む夕日そして月と星を見ることでしょう。
 
 さ私達の舞台は整いました、今はその準備です。しかし楽しみは最後まで残すのがいい。大物を釣り上げるのに何の苦労もしない、それは大物と言わ無い。

 大きいのがいいのではありません。要は中身と外見の美しさです。黒鯛じゃ有るまいし簡単に釣れると思ったら大間違い。心に美しさが無ければ夕日もマッチ棒の火もおなじようなものよ。ありふれたムツゴロウで終わってはなりません。
 
 山育ちの山の娘は手厳しいね。山への憧れが海への憧れに変わりますよう、海の神にお参りしなくてはいけないようだ。

 あの山もずるずると蕎麦を食べる音のように、海の中に入れと、念ずればそうなる。心地いい風は森の新緑の五月風だけじゃ無い。

 潮風が若者の気持ちを熱くする。貝が見ていようが魚が出てこようが、海は太古の人類の故郷。日本人の祖先は黒潮に乗ってきた海洋民族と言われています。

 あなたの古代遙かな祖先は樺太までマンモスを追ってきたのかもしれないな。そうなれば狩猟民族と言うことか。山の娘のいいところは心が螺旋状に曲がっていない、素朴な素麺か冷や麦の感触がする。

 綠走れり  夏料理 とは 

 ここにいる私の前のロザリアのこと。まっすぐ伸びた竹のように清冽した美しさが静寂の中から伝わってくるようです。燕子花をあしらったロングスカートに麦わら帽子は眩しい。

 あなたといると僕の心は折れない。何でも楽しく受け止められる。遠い昔に忘れたものに偶然巡り会えたようにもなります。
 
  私は曾てタロスケという愛犬を不慮の事故で亡くしました。その悲しみは十三周忌をむかえる今年の十月九日も変わることがないでしょう。以下の様に光源氏は昔を思い出し書き綴った。

日は沈んでも朝日の昇るときはくる 6

  ㊳ 桜桃子の物語

 ねえ、貫之さん。私達がなぜこのような心境になりそしてあえて困難に立ち向かうこの心を知りたいでしょう。

 そうそうあなたの境遇にもある意味では似ているわよ。人には言いがたいような事情と奇妙な運命があるのよ。

 あなたはもう私達の仲間だからいいでしょう、プライベートの中身まで踏み込まないと理解できないでしょう。

 お互いの秘密は此所ではありません。それどころか皆がお互いを理解して固い絆が出来ています。この友愛は大地が割れ裂けてもビクともしません。話してもらい分かって欲しい、隠す物何もない。世の常識とは相容れない。みなこう申しております。
 
 あなたの中学三年生の時のクラスメイトの桜桃子さんを知っているでしょう。あの人もかわいそうな人よ。数奇な運命があったんですもの。しかし彼女の強さはこの目を覆う苦境の中でも負けずに生きたんです。 

〃いいじゃないの、今がよけりゃ
  いいじゃないの、しあわせならば〃

  佐良直美の歌が自分の人生と言ってました。皆が大笑いしたんです。余りにもあっけらかんに明るい桃子に悲しみと同情を忘れて、吹き出すやら、転げ回るやら、それは楽しい人です。

 燕子花さんは、好いわね、私達のコミュニティー歌にピッタリよ、というので私達の共有の讃歌になったんです。

 村に二軒しかない魚屋さんが彼女の家の家業よ。勝治さんも良く学校の帰り彼女の店に魚や乾物を買いに来ていたことを思い出すと言っていたわよ。

 彼女が言うには、いつもクラスと学校でしか目を合わせたことが無い貴方が私に家の店に来てオドオドしたような目をして私に問いかけるのはなぜ?。あのクラスにいる威風堂々とした姿が、そう思ったと言っていましたよ。
 
 そうですか、オドオドして彼女を見ていたんですね。利発で顔がまん丸で今流のチビマル子が中学生になったようで可愛かったんです。
 
 はいはいご馳走様、今の話しをお伝えしますよ、桃子のうれしそうな笑顔今すぐご覧あれ。幸せよ、今この時はあの過去の出来事をまるで生き物のように再びの出逢いを作る。理由も不可思議も無い、いい世の中の風が私達に吹いているのです。
 
 此所までこのように心を入れ変え辿り着くくには長い道のりがあるんです。中学卒業後はお互いですが、同級生のみなのその後のことを知らないでしょう。最初は私の尊敬する桃子さんからお話をしていきましょう。
 
 桃子は三人兄弟姉妹でした。高校卒業後家業の魚屋をひとつ上の姉と一つ下の弟とそして両親の五人で繁盛するお店の手伝いに追われていたのよ。

 この時代のころともなれば、村人の現金収入も徐々に増え始め、お盆と正月だけで無く日常的に魚を買い食べれるようになっていました。

 仁賀保、金浦,本荘港、秋田港、入道崎に至るまで競って問屋が桃子の〃さくらかつお商店〃へ魚を卸しに自動車で押し寄せて来たんです。その賑わいは喩えようも無い、押すな押すなの行列が桃子の店はひとだかりです。村人は新鮮で安く旨い魚の味をこの桃子の店で買った魚から知ったんです。
 
 何ですか、お父さんは将来のためだなんて、そんな貯金までして。消費税や付加価値税の先取りはだめよ。お客様から余計なお金を頂いたら罰あたります。消費税の時代はまだまだ先です。

 古新聞雑誌は板金に等しいんだ。魚を包む紙が無いんだ、包装紙がこれほど大事なのか、身をもって知る。木箱なんかはもう高級魚の贈答用にしか使えない。高価で手に入らない。

 お前の中学高校のノートが沢山あるなあー、少し小さいが魚を包むのに使うから、いいか。 
 ダメー、絶対。

 とは言え鰰一箱二百五十円、木箱百円、これでは魚が高いか木箱が高いか、魚を買って貰うのか木箱を販売しているのか分からなくなった。これに悩む桃子がいた。魚は飛ぶように売れこれにつられて雑貨類も売れる。

 商売は順調で冷蔵庫も二台、三台と増やし最新鋭のショーケース冷蔵庫まで揃えた。

 これを見たお客は硝子の箱の中で魚がコチコチになって泳いでいる、都会でも数少ない小型水族館だそうだ。噂は広まり何処に落ち着くか誰にも分からない。
 
 朝八時に開店し昼の十二時には完売、こういう日が続く。魚屋には大体毎日同じ物が並んでいた。秋刀魚、烏賊、ロウソクホッケ、鰯、鱈など季節の物も多数有る。よく見かけたのが塩辛だ。辛とは塩味の事だった。

 昆布、塩、醤油、味噌、納豆と様々あり缶詰類もあった。店の品揃えの多さは店の繁盛ぶりを良く表していた。店に活気があると町にも活気が流れてくる。村人の顔も大まかな話しぶりといい、歩き方も豪快に見えてくる。
 
 桃子の店も町と呼ばれる他の店が何軒か並んでいる内の一つだったが道路を挟んでややはす向かい方向には村の支所もあったから中心だったろう。
 
 桃子の店から百メートル少し離れてもう一軒の魚屋があり、その間に二軒の本屋兼文房具店、そして二軒の旅館がありその一つが黛淑子の生家である。

 わずか四百メートルの距離を挟み道路の上方向、下方向に百五十メートルぐらい離れ郵便局と村の役場の支所があり、その頃はまだ珍しいい小さな電気店もあった。

 電気製品と言ってもラジオを見たという記憶しか無い。また自転車店もあった。ブリヂストンという大きな立て看板が店を飾っていた。

 この四百メートルそこそこの場所に農家の家並みに囲まれた約六百世帯の人々が買い物をする商店があった。   
 
 高度成長期に後押しされた景気が加熱し、最後の坂を登り終わるまで相当の時間があった。しかし人口だけが減少していくという曾て経験したことのない事態が進行していた。いいことはいつまでも続かない、悪い出来事もそうだが。

 村人の収入が増えるにつれ子どもの出生率が激減した。曾て四クラスもあったのが小中学校のスタイルだった。

 やがて時が移り変わり人々の意識も世の中の仕組みも変わっていく中で、じわじわ三クラスになり、二クラスとなり学級の松組、竹組、梅組という呼び名が消えた。あっという間に滑るように学校に行く子供がいなくなった。村の人口が急激に減少していく原因を作る。

 加えて車を持つ農家が増え近隣の矢島、さらに本荘迄行き魚も衣服も買ってくるように生活スタイルが徐々に変化してくる。

 これに対して村の町にある桃子の店ともう一軒の長介魚店は店に来る客を待たず車で店を出て朝早く売りに行商を始めた。
              
 〃さくらかつお商店〃

 と大声で村の道をエンジンで駆け廻る。だが昔の売れ行き繁盛は何処に消えた。車には氷に包まれた魚がざくざく出てくる。積んだ魚はいっこうに減らない。買う人の影が道にない。

 まさか留守なのかこんな早い朝に何処へ出かけるのか。つい最近まで魚を積んだライトバンに人だかりとなって来ていたのにどうしたことか。

 魚は木箱の中で恨めしそうに目を開く。氷はどんどん解ける。車からはその溶け出した水がドカドカ落ち始めてくる。
 
 桃子の家は家族会議で店を縮小する決断に迫られた。この魚屋は桃子の父が二十代の青年の頃珍しくバイクに載せ売った事もある輝かしい歴史を持っている。もう二十年も前のことだが。

 矢島、本荘の魚より高いのは当たりまでだ。此所まで持ってくるのに輸送コスト、車代ガソリン代、人件費は当然多くかかる。

 農協も地元の信用金庫も欲しいだけ金は貸してくれると言っている。

 農協の横の車が通る道路の前に空き地がある。笹村野宅の丁方向と松の木峠に向かう湯沢の方向に行くY字に自動車道路が交差するところがいい。

 そうすれば両方向に行きまた二方向から帰るお客にも目に付きやすい。利便性を考えても此所しかないだろう。こう家族に提案したのは父だった。

 ドライブインMAXという飲食店を建てようという計画だった。父の計画に家族も親戚も異論を述べられなかった。なんと言っても父がバイク、リヤカ、ー自転車で苦労して商売を始めた創業者だからである。

  ドライブインの建設は急ピッチに進められた。店の前面は広い駐車場とし奥に急勾配の大きな屋根を赤く塗装し、誰からも一目でドライブインとはっきり分かるようにした。

 町の中心と変わらない交通道路の要所であり好立地故敷地の価格も坪あたり笹村でも最高額だった。桃子の家族はドライブインのオープンの向かって舵は切った。

 この町に飲食店は一軒も無い。店に入り食事をする習慣がそのものがない。魚は売ってきたもののお客に食事を作って出すサービス、接待業は初めてだ。

 桃子は新しい店のドライブインを持つことに浮き浮きもしたが、店の売り上げの減少をまた車で売りに行っても買ってくれる人が少なくなった分を埋め合わせできるものだろうかと不安もあった。

 そんな期待と不安の中いよいよ店の建物は完成にまでこぎ着け開店には相当の準備期間を要したが着々と進んでいった。大きな冷蔵庫も三台用意し、メニューを考え客単価を練った。

 材料費、人件費、水道光熱費、借入金返済、利息の支払い、これらを計算すると一日一ヶ月一年の又一年の売り上げ目標が定まった。

 華々しく遂にオープンを迎えた。しかしなぜか客足が集まらなかった。予測した売り上げが半分にしかならない。オープン直後からドライブインの経営は頓挫の憂き目に遭う。
 
  一ヶ月間続けた。無理かもしれない。みな黙り込み心の中でそう言っている。結局客は来ず食事を作ることも疎らで店は閑散としていた。

 まるで閉店日が開業日と背中合わせの状況だった。重苦しい雰囲気の中口を開いた桃子の父はこう言った。

 本業の魚も売れなくなった。ドライブインもこのまま続けたら借金だけが増えるだろう。ドライブインの建設ため相当金をつぎ込んだが、売れないと建物も調理器具や備品の数々が粗大ゴミに見えてくる。メモを夜に書いておく。朝みんなが読んだら必ず焼いて捨てておけ。
 
 〃よこはまのしりあいをたよれ〃

 これを見た家族は父がいないことに翌朝に気付く。

 青春女史は大きく息をして長い話しを噛みしめるように終えた。話しは長い様だけどこれは人生の一瞬の出来事です。桃子の人生はここで終わりではないんです。

 通り過ぎた不幸を世に知らしめ逆境の人を救う、これが桃子に与えられた天命です。お話しを分かりましたか、貫之さん。
 
 そうだったんですか、夜逃げ同然で住み慣れた地を去らなければならなかったとは、何とも気の毒なことです。あの輝く笑顔にその様な哀しい出来事が起きたとは信じがたいです。
 
 さほど大きな不幸に会うこと無く生きていける人もあれば、思わぬ不幸に見舞われる方もある。人の禍福は最後の一息を吸い終えるまで分からない。
 
 その桃子さんはこの町の近くにいるんですね。再会をしたその時は何という言葉で始めればいいのか。

  はい、この町には桃子さんをはじめ仲間の友がおります。小学生、中学生とあなたのパートナーでした、と言ってましたよ。今は清少納言と言う人です。

 お二人で色々楽しい思い出を持っているようですね。貫之さんのことよく言ってましたよ。
 

日は沈んでも朝日の昇るときはくる 5


㊲  貫之は青春女史と出会いを果たし、  
  紫式部清少納言和泉式部と再会する

  その頃、貫之もやはり地元を離れていた。
壬生や躬恒に比べたら温和しく穏やかだった。既に、彼の実家の周りはみな敵だった。

 本家親戚近所まであれこれと言いながら差別を堂々としていた。東北人の水飲み百姓に貶されてなるものか。
  
 四面楚歌になりつつも、温和しい貫之だったが、今に見ておれ、そう言い残し家を後にした。本道吟醸地区の支援者に紹介してもらったアルバイトが束の間の収入源になった。
 
 とある日のこと、それは偶然にやって来たのか、必然の出逢いなのか、ステージの幕は切って落とされた。ここから長い物語が始まる。

 それは、バイクに乗って精肉店のアルバイトの配達をし家々を廻っていた時の事だった。

 出掛ける前に、店のお上さんは良く細かく配達の道も要領も教えてくれた。

 あそこの家に着くと立派なお勝手があります。玄関からは決して入らず、声もお勝手から掛けて挨拶してから配達するようにお願いします。

 こう教えられてその通りに実行したときのことだった。

 まああなたね、阿倍さんからお聞きしましたよ。大学を出て故郷に尽くそうとしてわざわざみんなのいやがる古い因習と柵の町に来られたんですってねえ。
 
 阿倍さんとは壬生のアルバイト先の中国湖北省武漢出身の阿倍仲麻呂精肉店のことだった。 

 はい、暫くこのお仕事のお手伝いで配達に伺います。どうぞお見知りおき下さい。
 
 まあ、学生さんのように肩ぐるしい挨拶な事。あんまりこちこちだと肩こるわよ。

 まあ、人には言いがたいようなわけも出来事もあるから、そんな事承知よ、出逢いは縁よ、気を楽にしましょう。

 あなたもクヨクヨせず楽しく生きましょう。たった一度の人生だから。

 あなたの少し陰りのある目差しは、にしきのあきらに似ているわね。空に太陽がある限り、限りある人生でこう歌いこう叫んで、こんな長閑な昼下がりは体全体で心ゆくまで踊ってみたいわ。

 あなたの頑張りもよく分かるるわよ。それぞれの与えられた道と境遇でみんな生きているのよ。
 
 あなたちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ。すぐ準備するからお仕事の最中だからね。ほんの二,三分よ、いいこと。

 それから、次の家の配達に廻っていた。来る日も来る日も配達の仕事が続いた。

 単調な日々だったが、仕事が無く腐りきった魚の様な身の上に現れた一輪の花。目の前に天から降り注いで地中から生まれ出でて来たかのような花。

 川を流れ海岸に着く。この地の自分がいる所に流れ着いた希望の光を感じた。仕事がある人と無い人にはこんな違いが出てくる。

 周りは秋田の寒風と非人情な暴漢しかいないと思っていたが、世の中は広い。探せば人情に突き当たるものなのか。
 
 それからしばらく配達の仕事に追われていた。ある日店主の仲麻呂さんに連れられて、海岸線にある苫屋みたいにな殺風景な作業場に行った時のこと。

 そこは牛、豚、鶏の屠殺場だった。その場にはなんと最初に肉の配達をしたにしきのあきらファンの彼女がニコニコして迎えてくれた。
 
 どう怖い、私は最初とても怖くて一年間は夢に見たのよ。牛の悲鳴、豚の逃げ回る様、鶏の目が恨めしそうに飛び出したり、食べられる運命の生き物の最後の姿を。
 
 私は食われるためにそして人間の食事のおかずになるしかない。

 食う者は食われた者の怨霊を毎夜聴くことになる。人間も人間社会に於いても然り、この法則から逃れられない。
 
 動物たちにこう言って手を合わせるのよ。極楽天国の門は険しく辛いと。

 地獄の苦しみを身に背負った生き物だけがこの門を叩き押して開き清浄な世界に入場できる資格を得るのです。
 
 食う者と食われ者は、虐げる人と虐げられる人の関係でもあるんです。

 人は一週間飲まず食わずでいたら死ぬでしょう。人の命とは何と儚く作られたのでしょうか。

 一杯の水一杯のご飯と西欧の国では数詞を被らせて、一杯のコーヒー等と言う。

 時には一杯が命を救う一滴にならんことを意味します。人は食なくして生きられません。まるで無用の数詞は死ぬべき者と死者に用意された一杯のコーヒーです。神を区分する衣食住には不用。
 
 私達の目指すコミュニティーにはモデルは有りません。強いて言えば、一人一人の七人の個性が作るのです。あなたを入れて七人の侍です。

 かつて、宮崎県児湯郡木城村、埼玉県入間郡毛呂山町に建設を目指した先人はおりますがその様な村ではありません。

 文明が高度に発達し医療教育社会福祉インフラの充実度仕事の獲得、住みやすい県のナンバーワンは何処でしょう。

 今では童話か演劇の舞台たると言えるでしでょう。あなたも一度でも考え空想したことがありますか。実現は可能です。人口七人のトトロです。

 ここの私達の住む地域の中に、小さなとても小さな狭山丘陵に囲まれたトトロの森を建設します。

 ああ広いこの空、私達の目的を達成する地は、蛙が飛び込む井の大きさぐらいにしかならないかもしれない。しかし大きさは絶対的ではないでしょう。大きさは人の心の持ちようで、他に変えることの出来ない物を得る入り口です。

 私は大空に向かいこう祈ります。大空よあなたも私も限りなく広い。大いなる心を持ち大地を草花の綠で潤して欲しい。私の成長はあなたの成長、私の生涯はあなたの虚空そのものです。

 人存在する故に神在り。これが私どもの究極の根本思想です。我々に死ぬという運命が待ち受けている、それが何でしょう。
 
 我々は子孫に語り続けられ永遠に生きるのです。しかし残酷な者がこの世に存在します。アダムとエバの子孫だとは、ノーモア広島長崎のレベル。そして油煮えたぎる羊好色家アブラムの子孫とは、考えるのもけがわらしい。

 人の人たる系統血筋は人だけに与えられた特質なんです。罪に対する報いは死である。実に窮屈な見方です。

 人に原罪など存在しません。あるのは天地を敬う本来の崇拝だけです。

 人を無用にして裁くものが裁かれる対象です。私達には悪人も善人もおりません。だれがどのような根拠でこう呼ぶのでしょう。肩書、地位、出自これらはみな人の重荷であり、足枷であり、頚木なのです。

 この地は私達が築き上げる王国でありコロニ(colonie) と呼ぶにふさわしいでしょう。

  そういう彼女は青春女史と言う人だった。彼女の主人は青春歌謡曲という音楽事務所の社長仙昌夫という人で、かつてスターを輩出させ巨万の富を得た。

 しかし好いことは長続きせず脱税疑惑、政治献金と政界への進出の失敗で散財した。そして本業の音楽事務所からはスターがピタリと出なくなり倒産した。

  青春女史が豪華な暮らしから目を覚した時は、自身が池袋や京都のバーやナイトクラブの酌婦になっていた。
 
 私達は花の28組(にっぱちぐみ)会を作っているのよ。お花見をしたり料理をしたり、趣味のダンスや歌謡曲を歌ったりそれは楽しいわよ。出雲国阿国さんにも会えるわ。スポンサーもちゃんといるのよ。世阿弥さんや利休さん、そして新しいところでは歌麿さんなどよ。変わったところでは隆の里さんかしら。

 ねえあなた、世間とは捨てたもんじゃ無いわよ。友達にあなたの出身地鳥海笹髙原を話したら、まあ驚いていた。

 姓名は結婚し変わってしまいましたが、紫式部清少納言和泉式部、桜桃子、高橋燕子花さん方はみなあなたのこと知っていましたよ。嫁いでも再会できる日を待っていますと伝言をも預かっています。

 なんと同窓生で小学校中学校九年間の竹馬の友だなん、て。いいわね。
 
 エエッ、そんなことあるんですか。
 
 偶然なのか誰かの導きか定かでは無いが不思議とはこのこと。貫之は驚きのあまり絶句する。こんな事が世に存在しているなんて。

 燦めく中学時代と幼い小学時代に毎日顔を会わせた。もうあれから十年、十一年も経ている。奇遇と言うのにも当てはまらない。              
  女史さん、どうしてこうも不思議なことが起きる物でしょう。首を傾げても思いを巡らせても不可解と言いましょうか、この偶然はこの上なく幸いをもたらしてくれていますが、なにか話が余りにもよく出来すぎてやや怖いです。                        

 おほほー、何をか狼狽えるようで可笑しいですよ。あなたはまるで夢を見ている中で私とこうしてお話していているんではないです。

 世の中の不幸が貴方様に落ちかかってきたというのでも無いのです。私には足も手もあります、どうぞ手を握り確かめて下さい。

 熱い息もあります。ブラウスの下には心臓と乳房もあります、どう大きいでしょ。完全生身の女ですもの。

 イッチ ラブリィ(It`s lovely) これが私たちの合い言葉よ。美しくない世にあえて美しく生きる。醜い世にあえて美しく生きる。

 差別と圧迫、人権蹂躙のこの地と人々にも笑顔で接する。仏を越える仏にはなれないが、私達は天女よ、世を照らす、万物と万世は私達の源、源流であれ。このように祈念しているのです。
 

  ㊳ 桜桃子の物語

 ねえ、貫之さん。私達がなぜこのような心境になりそしてあえて困難に立ち向かうこの心を知りたいでしょう。

 

日は沈んでも朝日の昇るときはくる 4

㊲㊲ 貫之は青春女史と出会いを果たし、     

紫式部清少納言和泉式部と再会する その頃、貫之もやはり地元を離れていた。 壬生や躬恒に比べたら温和しく穏やかだった。既に、彼の実家の周りはみな敵だった。  本家親戚近所まであれこれと言いながら差別を堂々としていた。東北人の水飲み百姓に貶されてなるものか。     四面楚歌になりつつも、温和しい貫之だったが、今に見ておれ、そう言い残し家を後にした。本道吟醸地区の支援者に紹介してもらったアルバイトが束の間の収入源になった。  とある日のこと、それは偶然にやって来たのか、必然の出逢いなのか、ステージの幕は切って落とされた。ここから長い物語が始まる。  それは、バイクに乗って精肉店のアルバイトの配達をし家々を廻っていた時の事だった。  出掛ける前に、店のお上さんは良く細かく配達の道も要領も教えてくれた。  あそこの家に着くと立派なお勝手があります。玄関からは決して入らず、声もお勝手から掛けて挨拶してから配達するようにお願いします。  こう教えられてその通りに実行したときのことだった。  まああなたね、阿倍さんからお聞きしましたよ。大学を出て故郷に尽くそうとしてわざわざみんなのいやがる古い因習と柵の町に来られたんですってねえ。    阿倍さんとは壬生のアルバイト先の中国湖北省武漢出身の阿倍仲麻呂精肉店のことだった。   はい、暫くこのお仕事のお手伝いで配達に伺います。どうぞお見知りおき下さい。  まあ、学生さんのように肩ぐるしい挨拶な事。あんまりこちこちだと肩こるわよ。  まあ、人には言いがたいようなわけも出来事もあるから、そんな事承知よ、出逢いは縁よ、気を楽にしましょう。  あなたもクヨクヨせず楽しく生きましょう。たった一度の人生だから。  あなたの少し陰りのある目差しは、にしきのあきらに似ているわね。空に太陽がある限り、限りある人生でこう歌いこう叫んで、こんな長閑な昼下がりは体全体で心ゆくまで踊ってみたいわ。  あなたの頑張りもよく分かるるわよ。それぞれの与えられた道と境遇でみんな生きているのよ。  あなたちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ。すぐ準備するからお仕事の最中だからね。ほんの二,三分よ、いいこと。  それから、次の家の配達に廻っていた。来る日も来る日も配達の仕事が続いた。  単調な日々だったが、仕事が無く腐りきった魚の様な身の上に現れた一輪の花。目の前に天から降り注いで地中から生まれ出でて来たかのような花。  川を流れ海岸に着く。この地の自分がいる所に流れ着いた希望の光を感じた。仕事がある人と無い人にはこんな違いが出てくる。  周りは秋田の寒風と非人情な暴漢しかいないと思っていたが、世の中は広い。探せば人情に突き当たるものなのか。  それからしばらく配達の仕事に追われていた。ある日店主の仲麻呂さんに連れられて、海岸線にある苫屋みたいにな殺風景な作業場に行った時のこと。  そこは牛、豚、鶏の屠殺場だった。その場にはなんと最初に肉の配達をしたにしきのあきらファンの彼女がニコニコして迎えてくれた。    どう怖い、私は最初とても怖くて一年間は夢に見たのよ。牛の悲鳴、豚の逃げ回る様、鶏の目が恨めしそうに飛び出したり、食べられる運命の生き物の最後の姿を。    私は食われるためにそして人間の食事のおかずになるしかない。  食う者は食われた者の怨霊を毎夜聴くことになる。人間も人間社会に於いても然り、この法則から逃れられない。    動物たちにこう言って手を合わせるのよ。極楽天国の門は険しく辛いと。  地獄の苦しみを身に背負った生き物だけがこの門を叩き押して開き清浄な世界に入場できる資格を得るのです。    食う者と食われ者は、虐げる人と虐げられる人の関係でもあるんです。  人は一週間飲まず食わずでいたら死ぬでしょう。人の命とは何と儚く作られたのでしょうか。  一杯の水一杯のご飯と西欧の国では数詞を被らせて、一杯のコーヒー等と言う。  時には一杯が命を救う一滴にならんことを意味します。人は食なくして生きられません。まるで無用の数詞は死ぬべき者と死者に用意された一杯のコーヒーです。神を区分する衣食住には不用。  私達の目指すコミュニティーにはモデルは有りません。強いて言えば、一人一人の七人の個性が作るのです。あなたを入れて七人の侍です。  かつて、宮崎県児湯郡木城村、埼玉県入間郡毛呂山町に建設を目指した先人はおりますがその様な村ではありません。  文明が高度に発達し医療教育社会福祉インフラの充実度仕事の獲得、住みやすい県のナンバーワンは何処でしょう。  今では童話か演劇の舞台たると言えるでしでょう。あなたも一度でも考え空想したことがありますか。実現は可能です。人口七人のトトロです。  ここの私達の住む地域の中に、小さなとても小さな狭山丘陵に囲まれたトトロの森を建設します。  ああ広いこの空、私達の目的を達成する地は、蛙が飛び込む井の大きさぐらいにしかならないかもしれない。しかし大きさは絶対的ではないでしょう。大きさは人の心の持ちようで、他に変えることの出来ない物を得る入り口です。  私は大空に向かいこう祈ります。大空よあなたも私も限りなく広い。大いなる心を持ち大地を草花の綠で潤して欲しい。私の成長はあなたの成長、私の生涯はあなたの虚空そのものです。  人存在する故に神在り。これが私どもの究極の根本思想です。我々に死ぬという運命が待ち受けている、それが何でしょう。    我々は子孫に語り続けられ永遠に生きるのです。しかし残酷な者がこの世に存在します。アダムとエバの子孫だとは、ノーモア広島長崎のレベル。そして油煮えたぎる羊好色家アブラムの子孫とは、考えるのもけがわらしい。  人の人たる系統血筋は人だけに与えられた特質なんです。罪に対する報いは死である。実に窮屈な見方です。  人に原罪など存在しません。あるのは天地を敬う本来の崇拝だけです。  人を無用にして裁くものが裁かれる対象です。私達には悪人も善人もおりません。だれがどのような根拠でこう呼ぶのでしょう。肩書、地位、出自これらはみな人の重荷であり、足枷であり、頚木なのです。  この地は私達が築き上げる王国でありコロニ(colonie) と呼ぶにふさわしいでしょう。 そういう彼女は青春女史と言う人だった。彼女の主人は青春歌謡曲という音楽事務所の社長仙昌夫という人で、かつてスターを輩出させ巨万の富を得た。  しかし好いことは長続きせず脱税疑惑、政治献金と政界への進出の失敗で散財した。そして本業の音楽事務所からはスターがピタリと出なくなり倒産した。 青春女史が豪華な暮らしから目を覚した時は、自身が池袋や京都のバーやナイトクラブの酌婦になっていた。    私達は花の28組(にっぱちぐみ)会を作っているのよ。お花見をしたり料理をしたり、趣味のダンスや歌謡曲を歌ったりそれは楽しいわよ。出雲国阿国さんにも会えるわ。スポンサーもちゃんといるのよ。世阿弥さんや利休さん、そして新しいところでは歌麿さんなどよ。変わったところでは隆の里さんかしら。  ねえあなた、世間とは捨てたもんじゃ無いわよ。友達にあなたの出身地鳥海笹髙原を話したら、まあ驚いていた。  姓名は結婚し変わってしまいましたが、紫式部清少納言和泉式部、桜桃子、高橋燕子花さん方はみなあなたのこと知っていましたよ。嫁いでも再会できる日を待っていますと伝言をも預かっています。  なんと同窓生で小学校中学校九年間の竹馬の友だなん、て。いいわね。  エエッ、そんなことあるんですか。    偶然なのか誰かの導きか定かでは無いが不思議とはこのこと。貫之は驚きのあまり絶句する。こんな事が世に存在しているなんて。  燦めく中学時代と幼い小学時代に毎日顔を会わせた。もうあれから十年、十一年も経ている。奇遇と言うのにも当てはまらない。 女史さん、どうしてこうも不思議なことが起きる物でしょう。首を傾げても思いを巡らせても不可解と言いましょうか、この偶然はこの上なく幸いをもたらしてくれていますが、なにか話が余りにもよく出来すぎてやや怖いです。  おほほー、何をか狼狽えるようで可笑しいですよ。あなたはまるで夢を見ている中で私とこうしてお話していているんではないです。  世の中の不幸が貴方様に落ちかかってきたというのでも無いのです。私には足も手もあります、どうぞ手を握り確かめて下さい。  熱い息もあります。ブラウスの下には心臓と乳房もあります、どう大きいでしょ。完全生身の女ですもの。  イッチ ラブリィ(It`s lovely) これが私たちの合い言葉よ。美しくない世にあえて美しく生きる。醜い世にあえて美しく生きる。  差別と圧迫、人権蹂躙のこの地と人々にも笑顔で接する。仏を越える仏にはなれないが、私達は天女よ、世を照らす、万物と万世は私達の源、源流であれ。このように祈念しているのです。 ㊳ 桜桃子の物語  ねえ、貫之さん。私達がなぜこのような心境になりそしてあえて困難に立ち向かうこの心を知りたいでしょう。  そうそうあなたの境遇にもある意味では似ているわよ。人には言いがたいような事情と奇妙な運命があるのよ。  あなたはもう私達の仲間だからいいでしょう、プライベートの中身まで踏み込まないと理解できないでしょう。  お互いの秘密は此所ではありません。それどころか皆がお互いを理解して固い絆が出来ています。この友愛は大地が割れ裂けてもビクともしません。話してもらい分かって欲しい、隠す物何もない。世の常識とは相容れない。みなこう申しております。  あなたの中学三年生の時のクラスメイトの桜桃子さんを知っているでしょう。あの人もかわいそうな人よ。数奇な運命があったんですもの。しかし彼女の強さはこの目を覆う苦境の中でも負けずに生きたんです。  〃いいじゃないの、今がよけりゃ いいじゃないの、しあわせならば〃 佐良直美の歌が自分の人生と言ってました。皆が大笑いしたんです。余りにもあっけらかんに明るい桃子に悲しみと同情を忘れて、吹き出すやら、転げ回るやら、それは楽しい人です。  燕子花さんは、好いわね、私達のコミュニティー歌にピッタリよ、というので私達の共有の讃歌になったんです。  村に二軒しかない魚屋さんが彼女の家の家業よ。勝治さんも良く学校の帰り彼女の店に魚や乾物を買いに来ていたことを思い出すと言っていたわよ。  彼女が言うには、いつもクラスと学校でしか目を合わせたことが無い貴方が私に家の店に来てオドオドしたような目をして私に問いかけるのはなぜ?。あのクラスにいる威風堂々とした姿が、そう思ったと言っていましたよ。  そうですか、オドオドして彼女を見ていたんですね。利発で顔がまん丸で今流のチビマル子が中学生になったようで可愛かったんです。    はいはいご馳走様、今の話しをお伝えしますよ、桃子のうれしそうな笑顔今すぐご覧あれ。幸せよ、今この時はあの過去の出来事をまるで生き物のように再びの出逢いを作る。理由も不可思議も無い、いい世の中の風が私達に吹いているのです。  此所までこのように心を入れ変え辿り着くくには長い道のりがあるんです。中学卒業後はお互いですが、同級生のみなのその後のことを知らないでしょう。最初は私の尊敬する桃子さんからお話をしていきましょう。    桃子は三人兄弟姉妹でした。高校卒業後家業の魚屋をひとつ上の姉と一つ下の弟とそして両親の五人で繁盛するお店の手伝いに追われていたのよ。  この時代のころともなれば、村人の現金収入も徐々に増え始め、お盆と正月だけで無く日常的に魚を買い食べれるようになっていました。  仁賀保、金浦,本荘港、秋田港、入道崎に至るまで競って問屋が桃子の〃さくらかつお商店〃へ魚を卸しに自動車で押し寄せて来たんです。その賑わいは喩えようも無い、押すな押すなの行列が桃子の店はひとだかりです。村人は新鮮で安く旨い魚の味をこの桃子の店で買った魚から知ったんです。  何ですか、お父さんは将来のためだなんて、そんな貯金までして。消費税や付加価値税の先取りはだめよ。お客様から余計なお金を頂いたら罰あたります。消費税の時代はまだまだ先です。  古新聞雑誌は板金に等しいんだ。魚を包む紙が無いんだ、包装紙がこれほど大事なのか、身をもって知る。木箱なんかはもう高級魚の贈答用にしか使えない。高価で手に入らない。  お前の中学高校のノートが沢山あるなあー、少し小さいが魚を包むのに使うから、いいか。   ダメー、絶対。  とは言え鰰一箱二百五十円、木箱百円、これでは魚が高いか木箱が高いか、魚を買って貰うのか木箱を販売しているのか分からなくなった。これに悩む桃子がいた。魚は飛ぶように売れこれにつられて雑貨類も売れる。  商売は順調で冷蔵庫も二台、三台と増やし最新鋭のショーケース冷蔵庫まで揃えた。  これを見たお客は硝子の箱の中で魚がコチコチになって泳いでいる、都会でも数少ない小型水族館だそうだ。噂は広まり何処に落ち着くか誰にも分からない。    朝八時に開店し昼の十二時には完売、こういう日が続く。魚屋には大体毎日同じ物が並んでいた。秋刀魚、烏賊、ロウソクホッケ、鰯、鱈など季節の物も多数有る。よく見かけたのが塩辛だ。辛とは塩味の事だった。  昆布、塩、醤油、味噌、納豆と様々あり缶詰類もあった。店の品揃えの多さは店の繁盛ぶりを良く表していた。店に活気があると町にも活気が流れてくる。村人の顔も大まかな話しぶりといい、歩き方も豪快に見えてくる。  桃子の店も町と呼ばれる他の店が何軒か並んでいる内の一つだったが道路を挟んでややはす向かい方向には村の支所もあったから中心だったろう。    桃子の店から百メートル少し離れてもう一軒の魚屋があり、その間に二軒の本屋兼文房具店、そして二軒の旅館がありその一つが黛淑子の生家である。  わずか四百メートルの距離を挟み道路の上方向、下方向に百五十メートルぐらい離れ郵便局と村の役場の支所があり、その頃はまだ珍しいい小さな電気店もあった。  電気製品と言ってもラジオを見たという記憶しか無い。また自転車店もあった。ブリヂストンという大きな立て看板が店を飾っていた。  この四百メートルそこそこの場所に農家の家並みに囲まれた約六百世帯の人々が買い物をする商店があった。  高度成長期に後押しされた景気が加熱し、最後の坂を登り終わるまで相当の時間があった。しかし人口だけが減少していくという曾て経験したことのない事態が進行していた。いいことはいつまでも続かない、悪い出来事もそうだが。  村人の収入が増えるにつれ子どもの出生率が激減した。曾て四クラスもあったのが小中学校のスタイルだった。  やがて時が移り変わり人々の意識も世の中の仕組みも変わっていく中で、じわじわ三クラスになり、二クラスとなり学級の松組、竹組、梅組という呼び名が消えた。あっという間に滑るように学校に行く子供がいなくなった。村の人口が急激に減少していく原因を作る。  加えて車を持つ農家が増え近隣の矢島、さらに本荘迄行き魚も衣服も買ってくるように生活スタイルが徐々に変化してくる。  これに対して村の町にある桃子の店ともう一軒の長介魚店は店に来る客を待たず車で店を出て朝早く売りに行商を始めた。  〃さくらかつお商店〃  と大声で村の道をエンジンで駆け廻る。だが昔の売れ行き繁盛は何処に消えた。車には氷に包まれた魚がざくざく出てくる。積んだ魚はいっこうに減らない。買う人の影が道にない。  まさか留守なのかこんな早い朝に何処へ出かけるのか。つい最近まで魚を積んだライトバンに人だかりとなって来ていたのにどうしたことか。  魚は木箱の中で恨めしそうに目を開く。氷はどんどん解ける。車からはその溶け出した水がドカドカ落ち始めてくる。  桃子の家は家族会議で店を縮小する決断に迫られた。この魚屋は桃子の父が二十代の青年の頃珍しくバイクに載せ売った事もある輝かしい歴史を持っている。もう二十年も前のことだが。  矢島、本荘の魚より高いのは当たりまでだ。此所まで持ってくるのに輸送コスト、車代ガソリン代、人件費は当然多くかかる。  農協も地元の信用金庫も欲しいだけ金は貸してくれると言っている。  農協の横の車が通る道路の前に空き地がある。笹村野宅の丁方向と松の木峠に向かう湯沢の方向に行くY字に自動車道路が交差するところがいい。  そうすれば両方向に行きまた二方向から帰るお客にも目に付きやすい。利便性を考えても此所しかないだろう。こう家族に提案したのは父だった。  ドライブインMAXという飲食店を建てようという計画だった。父の計画に家族も親戚も異論を述べられなかった。なんと言っても父がバイク、リヤカ、ー自転車で苦労して商売を始めた創業者だからである。 ドライブインの建設は急ピッチに進められた。店の前面は広い駐車場とし奥に急勾配の大きな屋根を赤く塗装し、誰からも一目でドライブインとはっきり分かるようにした。  町の中心と変わらない交通道路の要所であり好立地故敷地の価格も坪あたり笹村でも最高額だった。桃子の家族はドライブインのオープンの向かって舵は切った。  この町に飲食店は一軒も無い。店に入り食事をする習慣がそのものがない。魚は売ってきたもののお客に食事を作って出すサービス、接待業は初めてだ。  桃子は新しい店のドライブインを持つことに浮き浮きもしたが、店の売り上げの減少をまた車で売りに行っても買ってくれる人が少なくなった分を埋め合わせできるものだろうかと不安もあった。  そんな期待と不安の中いよいよ店の建物は完成にまでこぎ着け開店には相当の準備期間を要したが着々と進んでいった。大きな冷蔵庫も三台用意し、メニューを考え客単価を練った。  材料費、人件費、水道光熱費、借入金返済、利息の支払い、これらを計算すると一日一ヶ月一年の又一年の売り上げ目標が定まった。  華々しく遂にオープンを迎えた。しかしなぜか客足が集まらなかった。予測した売り上げが半分にしかならない。オープン直後からドライブインの経営は頓挫の憂き目に遭う。 一ヶ月間続けた。無理かもしれない。みな黙り込み心の中でそう言っている。結局客は来ず食事を作ることも疎らで店は閑散としていた。  まるで閉店日が開業日と背中合わせの状況だった。重苦しい雰囲気の中口を開いた桃子の父はこう言った。  本業の魚も売れなくなった。ドライブインもこのまま続けたら借金だけが増えるだろう。ドライブインの建設ため相当金をつぎ込んだが、売れないと建物も調理器具や備品の数々が粗大ゴミに見えてくる。メモを夜に書いておく。朝みんなが読んだら必ず焼いて捨てておけ。  〃よこはまのしりあいをたよれ〃  これを見た家族は父がいないことに翌朝に気付く。  青春女史は大きく息をして長い話しを噛みしめるように終えた。話しは長い様だけどこれは人生の一瞬の出来事です。桃子の人生はここで終わりではないんです。  通り過ぎた不幸を世に知らしめ逆境の人を救う、これが桃子に与えられた天命です。お話しを分かりましたか、貫之さん。  そうだったんですか、夜逃げ同然で住み慣れた地を去らなければならなかったとは、何とも気の毒なことです。あの輝く笑顔にその様な哀しい出来事が起きたとは信じがたいです。  さほど大きな不幸に会うこと無く生きていける人もあれば、思わぬ不幸に見舞われる方もある。人の禍福は最後の一息を吸い終えるまで分からない。  その桃子さんはこの町の近くにいるんですね。再会をしたその時は何という言葉で始めればいいのか。 はい、この町には桃子さんをはじめ仲間の友がおります。小学生、中学生とあなたのパートナーでした、と言ってましたよ。今は清少納言と言う人です。  お二人で色々楽しい思い出を持っているようですね。貫之さんのことよく言ってましたよ。  ㊴ その後の紫式部    小学校の低学年の時黒板に書かれた算数の問題が分からなくて何時も二,三人残されていた。 みんな問題を解いて出来た順に帰っているのにまた残されて何してんのかなと式部は良く思ったと言ってました。その頃は勉強の出来ない全くの劣等生でしたね。  それが小学生の高学年の五,六年生ではクラスの委員長だったり、とても勉強熱心な小学生に大変身していた。  何が此所までこうさせた。蝶々か鬼ヤンマか蝉か鯉のぼりか、みなを驚かせた話しは有名でした  貫之さん、式部の卒業後を御存知で無いでしょう。彼女も数奇な運命に翻弄され捻られ踏み倒された人よ。中学卒業後本道吟醸市の由利女子校に入学し卒業した人です。    ここから式部の忙しい日が続く。神奈川県三浦三崎の市役所に就職し、夜は教員免許を取るため東京神田水道橋の日大に入学した。    役所が閉まる五時に久里浜から横須賀線で大船まで行き、すぐ東海道線の快速電車〃すぐ着く象〃に乗り換え東京駅についた。  そして快速のオレンジ色の俺俺電中央線に乗りお茶の水総武本線の各駅停車の黄色い電車〃もう少しだ象〃の水道橋で下車すると目の前に日大経済学部がある。  距離は遠いようだが快速電車、特急電車に乗れば意外に早い。ノンストップ〃すぐ着く象〃なんかとても便利だった。俺俺電とかいい電なんて変わった名前は賑やかな都会に来たようで面白い。 此の曲と 選んで決めた 逞しい腕がを式部を導いていた。    「ホテルカリフォルニア」のミュージックが遂に苦しそうな歌声で車内の式部の体を痺れさせる。     〃どうこれ、光源氏紫式部のサラダ記念日よ〃  そう言う式部は幸せの絶頂、恋のハレルヤ真っ最中です。    それもそのはず、急がしい毎日が続いていたさなかのある日曜日、式部は名向崎の磯を眺めていた。  山しか知らない式部に魚種のメジナ クロダイ ウミタナゴ メバル カサゴ カレイ、カワハギ イワシ アジ サバと市役所の同僚の会話が飛び交っていたのが耳から離れない。休憩時間にもなるといつも磯釣りの話題でみんなが白熱の議論を交わし騒然としている。。  あの磯が穴場だ、いや餌が違う、何年三浦三崎に住んでいるんだ、議論が熱を帯びてくる。そんな様子はとても海と磯と魚が好きな昔から漁獲に恵まれた海辺の人という証だろう。  ナメコと竹の子しか知らない山地育ちの式部には、海辺の町の人々が好奇心に満ち毎日が活気のある地域、海岸線の風景は別の世界に来たように思えた。  今日も天気はいい。波も潮風もいい感じ。きっと磯釣りに出ているだろうあの人とも。と見渡すと、いたいた今日もあの人がいた。  私のメジナクロダイのようなもんよ。一本釣りでゲットしよう。  式部は道路を降りて岩肌に身を持たせながら恐る恐る男に近づく。近寄るにつれ波のしぶきが頭の上から降ってくる。  遠くで見た目以上に、波も荒く意外と高い。近づくと様子は一変する。岩に波が砕ける震動がドーン、ドーンと重い響きとなり足と両手から伝わってくる。 、  〃潮がぶつかるポイントを狙うんだ、潮目を狙うとメジナクロダイが釣れるだ〃  あれれー、この人ったら私がもう後ろに来ているのに知らんぷりしている。何やら忙しく一人で大声まで海に向かって出してる。  すると男はとうとう釣り糸をたぐりながらゆっくりと式部の方に振り向きながら言った。    おい其処のお嬢さん、黒潮にさらわれて漂流して、青い目の人形になってアメリカ人になりたいのか、それとも黒潮の流れに逆らって貧民国のフィリピン人のお嫁さんになりたいのか。そんなとこにポツンといたりして、ジョン万次郎がさらうまえに高波にさらわれるとは奇怪な運命を待つ人よ。  何よあんたー、よくぞ侮辱してくれたわね。あんたこそ岩の足場を滑らせてボドンと海の中や。    クロダイの夕飯のおかずになりたいのか。それに何その顔、男前の後ろ髪と思いきや、目も顔もムツゴロウそっくりなんですね。 そうとも鯥五郎守光源氏とは僕のこと。まるで、女に振られて困っている?、そんな風に見えるって、その逆なんですよ。ウンカの様に女が寄ってくる。蚊取り線香でも焚いて静寂な時を楽しみたいものだ。  何よ、その高慢ちきな態度、許しません。  旅は道ずれ、釣りは二本づり、宮本武蔵の二刀流を越えた。道元禅師の免許皆伝、心身脱落の境地今会得したり。  何をいってんだか、高慢ちきに更に傲慢ち き。  ははー、父が諫早の漁師だったんだよ。諫早湾干拓で大浦漁民、有明海漁民は海を追われたんだ。千百四十七人が佐賀地裁に提訴、十次提訴で原告は計二千二十九人にもなった。暗い話となった。  かつて湾はタイラギ漁、アサリの養殖、車エビ漁、カニやシャコと水産資源の宝庫でした。  干拓とは漁民を海から陸にぶん投げてしまう暴挙なのです。そんな中で生まれた私をムツゴロウという可愛い名前にしたのです。  まあ、そうとは知らず失礼しました。私の知らないあなたのことも色々話してくれてありがとう。  人には話せないこともたくさんあるのに初対面の人に包み隠さず境遇と心境を述べる事が出来る、そんなあなたは私にとてもいい人に見えます。  あなたは私の遠い未来、あなたの背にする夕焼けは諫早の潮の匂いがします。 そうですか、今日お会いした貴方こそ山の娘ロザリアのようです。僕はもうロシア人になります。ロシアから愛を込めて。  〃男の夢さ、一本釣りは〃  こう言いたいね。あなたは山の娘、山に登る月山の月を見て、太陽は丁岳の出羽山地に沈む。  星も、棚引く雲も雨も風もみな山の幸が源です。これからは海の風、海から上り海に沈む夕日そして月と星を見ることでしょう。  さ私達の舞台は整いました、今はその準備です。しかし楽しみは最後まで残すのがいい。大物を釣り上げるのに何の苦労もしない、それは大物と言わ無い。  大きいのがいいのではありません。要は中身と外見の美しさです。黒鯛じゃ有るまいし簡単に釣れると思ったら大間違い。心に美しさが無ければ夕日もマッチ棒の火もおなじようなものよ。ありふれたムツゴロウで終わってはなりません。  山育ちの山の娘は手厳しいね。山への憧れが海への憧れに変わりますよう、海の神にお参りしなくてはいけないようだ。  あの山もずるずると蕎麦を食べる音のように、海の中に入れと、念ずればそうなる。心地いい風は森の新緑の五月風だけじゃ無い。  潮風が若者の気持ちを熱くする。貝が見ていようが魚が出てこようが、海は太古の人類の故郷。日本人の祖先は黒潮に乗ってきた海洋民族と言われています。  あなたの古代遙かな祖先は樺太までマンモスを追ってきたのかもしれないな。そうなれば狩猟民族と言うことか。山の娘のいいところは心が螺旋状に曲がっていない、素朴な素麺か冷や麦の感触がする。  綠走れり 夏料理 とは   ここにいる私の前のロザリアのこと。まっすぐ伸びた竹のように清冽した美しさが静寂の中から伝わってくるようです。燕子花をあしらったロングスカートに麦わら帽子は眩しい。  あなたといると僕の心は折れない。何でも楽しく受け止められる。遠い昔に忘れたものに偶然巡り会えたようにもなります。 私は曾てタロスケという愛犬を不慮の事故で亡くしました。その悲しみは十三周忌をむかえる今年の十月九日も変わることがないでしょう。以下の様に光源氏は昔を思い出し書き綴った。 ㊵ タロの歌・タロの四十九日 タロの四十九日の翌朝には 冷たい雨が降り続いていた 十月の九日は忘れられない 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ タロは板に挟まり死んでしまった 命の終わったタロを抱きしめて 家族のみんなが泣いていたんだ 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ 黒い幕を下ろして眠る瞳 明るい太陽は映らない あの日からもう二度と幸せはこない 目をさませタロ 蘇れタロ 亡くなったあの夜に ワーンと家の中で鳴き声を聞いた タロは自分の役割終わったように 九年の命を閉じてしまった 子供の成長を見届けるように 動かないタロ 冷たくなったタロ 横たわったままに並んだ 白いタロの骨を好は拾った 昨日の出来事のように思い出し 遠い昔のようにも思われる 生き者の命は重くて小さい 母が死んで十七年 父も死んでもう七年 みんなの体がなくなったから 一緒にタロと好はもう遊べない 春の暖かい日が注ぎ込む ポツリとタロのおうちはベランダにある おちゃわんもお薬もみんなそろえた なにか足りないタロ 写真の中のタロ そう言ってる そう言ってる ポツリとタロのおうちはベランダにある 今年の八月の十三日には みんなが帰ってくるお盆だから タロスケもご自慢の尻尾を振って 母に抱かれてタロ 父がリードを引いて きっとそうして きっとそうなる 八月の十三日にタロは帰る 再び生まれ変わって地上にいる お空の七夕様のよい知らせ ご飯もお水も沢山あって 何の心配もない 本当によかった だから心配しないでいいよと ワーンとタロはいつもそう言っている 今度タロにあったら話してやる 苦しく寂しかったねと抱きしめて 何度もタロの毛がすり切れるほど 慰めてやる 散歩の時のように だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 今度タロにあったら話してやる あああー 久しぶりねと抱きしめて これからは絶対に離しはしない だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 本当に楽しかった思い出がいっぱい キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった みんな帰ってくるタロと一緒に来る 猫のテンコロも文鳥のブンも 好の胸へ嬉しそうに駆けつけてくる みんな帰ってくる本当によかった みんなそろって本当に楽しい 楽しいこの出会いは永遠に続く ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好のもとへ帰ってくる ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好の元へ帰ってくる 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く お帰りなさい タロ テン ブン お久しぶりね タロ テン ブン お休みなさい ンー ンー ンー   ㊶ 好おとうさんタロは帰って来たよ   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   遠い遠い   はるかな国から   帰ってきた   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   しょんぼり してては   たいせつな思い出が   ゴミになってしまう   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   その時間は   とても長くて   信じられないような   時間がかかる   山を越えて   川を渡り 空をかけて   星を巡って   帰ってきた   その時間は   五十六億七千万年    ㊷ 大きなタロが 大きなタロが 大きな空に現れた   顔の黒い鼻は沖縄迄届いて ふさふさの尾っぽは北海道の国後島迄 続いている 朝日に輝くお腹の白い毛は 私の住む関東地方上空あたりか 大きなタロが 大きな空に現れた 私が生前撮ったアルバムの写真さながら うれしそうに遊んでいる 大きな空から ㊲ 貫之は青春女史と出会いを果たし、     紫式部清少納言和泉式部と再会する その頃、貫之もやはり地元を離れていた。 壬生や躬恒に比べたら温和しく穏やかだった。既に、彼の実家の周りはみな敵だった。  本家親戚近所まであれこれと言いながら差別を堂々としていた。東北人の水飲み百姓に貶されてなるものか。     四面楚歌になりつつも、温和しい貫之だったが、今に見ておれ、そう言い残し家を後にした。本道吟醸地区の支援者に紹介してもらったアルバイトが束の間の収入源になった。  とある日のこと、それは偶然にやって来たのか、必然の出逢いなのか、ステージの幕は切って落とされた。ここから長い物語が始まる。  それは、バイクに乗って精肉店のアルバイトの配達をし家々を廻っていた時の事だった。  出掛ける前に、店のお上さんは良く細かく配達の道も要領も教えてくれた。  あそこの家に着くと立派なお勝手があります。玄関からは決して入らず、声もお勝手から掛けて挨拶してから配達するようにお願いします。  こう教えられてその通りに実行したときのことだった。  まああなたね、阿倍さんからお聞きしましたよ。大学を出て故郷に尽くそうとしてわざわざみんなのいやがる古い因習と柵の町に来られたんですってねえ。    阿倍さんとは壬生のアルバイト先の中国湖北省武漢出身の阿倍仲麻呂精肉店のことだった。   はい、暫くこのお仕事のお手伝いで配達に伺います。どうぞお見知りおき下さい。  まあ、学生さんのように肩ぐるしい挨拶な事。あんまりこちこちだと肩こるわよ。  まあ、人には言いがたいようなわけも出来事もあるから、そんな事承知よ、出逢いは縁よ、気を楽にしましょう。  あなたもクヨクヨせず楽しく生きましょう。たった一度の人生だから。  あなたの少し陰りのある目差しは、にしきのあきらに似ているわね。空に太陽がある限り、限りある人生でこう歌いこう叫んで、こんな長閑な昼下がりは体全体で心ゆくまで踊ってみたいわ。  あなたの頑張りもよく分かるるわよ。それぞれの与えられた道と境遇でみんな生きているのよ。  あなたちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ。すぐ準備するからお仕事の最中だからね。ほんの二,三分よ、いいこと。  それから、次の家の配達に廻っていた。来る日も来る日も配達の仕事が続いた。  単調な日々だったが、仕事が無く腐りきった魚の様な身の上に現れた一輪の花。目の前に天から降り注いで地中から生まれ出でて来たかのような花。  川を流れ海岸に着く。この地の自分がいる所に流れ着いた希望の光を感じた。仕事がある人と無い人にはこんな違いが出てくる。  周りは秋田の寒風と非人情な暴漢しかいないと思っていたが、世の中は広い。探せば人情に突き当たるものなのか。  それからしばらく配達の仕事に追われていた。ある日店主の仲麻呂さんに連れられて、海岸線にある苫屋みたいにな殺風景な作業場に行った時のこと。  そこは牛、豚、鶏の屠殺場だった。その場にはなんと最初に肉の配達をしたにしきのあきらファンの彼女がニコニコして迎えてくれた。    どう怖い、私は最初とても怖くて一年間は夢に見たのよ。牛の悲鳴、豚の逃げ回る様、鶏の目が恨めしそうに飛び出したり、食べられる運命の生き物の最後の姿を。    私は食われるためにそして人間の食事のおかずになるしかない。  食う者は食われた者の怨霊を毎夜聴くことになる。人間も人間社会に於いても然り、この法則から逃れられない。    動物たちにこう言って手を合わせるのよ。極楽天国の門は険しく辛いと。  地獄の苦しみを身に背負った生き物だけがこの門を叩き押して開き清浄な世界に入場できる資格を得るのです。    食う者と食われ者は、虐げる人と虐げられる人の関係でもあるんです。  人は一週間飲まず食わずでいたら死ぬでしょう。人の命とは何と儚く作られたのでしょうか。  一杯の水一杯のご飯と西欧の国では数詞を被らせて、一杯のコーヒー等と言う。  時には一杯が命を救う一滴にならんことを意味します。人は食なくして生きられません。まるで無用の数詞は死ぬべき者と死者に用意された一杯のコーヒーです。神を区分する衣食住には不用。  私達の目指すコミュニティーにはモデルは有りません。強いて言えば、一人一人の七人の個性が作るのです。あなたを入れて七人の侍です。  かつて、宮崎県児湯郡木城村、埼玉県入間郡毛呂山町に建設を目指した先人はおりますがその様な村ではありません。  文明が高度に発達し医療教育社会福祉インフラの充実度仕事の獲得、住みやすい県のナンバーワンは何処でしょう。  今では童話か演劇の舞台たると言えるでしでょう。あなたも一度でも考え空想したことがありますか。実現は可能です。人口七人のトトロです。  ここの私達の住む地域の中に、小さなとても小さな狭山丘陵に囲まれたトトロの森を建設します。  ああ広いこの空、私達の目的を達成する地は、蛙が飛び込む井の大きさぐらいにしかならないかもしれない。しかし大きさは絶対的ではないでしょう。大きさは人の心の持ちようで、他に変えることの出来ない物を得る入り口です。  私は大空に向かいこう祈ります。大空よあなたも私も限りなく広い。大いなる心を持ち大地を草花の綠で潤して欲しい。私の成長はあなたの成長、私の生涯はあなたの虚空そのものです。  人存在する故に神在り。これが私どもの究極の根本思想です。我々に死ぬという運命が待ち受けている、それが何でしょう。    我々は子孫に語り続けられ永遠に生きるのです。しかし残酷な者がこの世に存在します。アダムとエバの子孫だとは、ノーモア広島長崎のレベル。そして油煮えたぎる羊好色家アブラムの子孫とは、考えるのもけがわらしい。  人の人たる系統血筋は人だけに与えられた特質なんです。罪に対する報いは死である。実に窮屈な見方です。  人に原罪など存在しません。あるのは天地を敬う本来の崇拝だけです。  人を無用にして裁くものが裁かれる対象です。私達には悪人も善人もおりません。だれがどのような根拠でこう呼ぶのでしょう。肩書、地位、出自これらはみな人の重荷であり、足枷であり、頚木なのです。  この地は私達が築き上げる王国でありコロニ(colonie) と呼ぶにふさわしいでしょう。 そういう彼女は青春女史と言う人だった。彼女の主人は青春歌謡曲という音楽事務所の社長仙昌夫という人で、かつてスターを輩出させ巨万の富を得た。  しかし好いことは長続きせず脱税疑惑、政治献金と政界への進出の失敗で散財した。そして本業の音楽事務所からはスターがピタリと出なくなり倒産した。 青春女史が豪華な暮らしから目を覚した時は、自身が池袋や京都のバーやナイトクラブの酌婦になっていた。    私達は花の28組(にっぱちぐみ)会を作っているのよ。お花見をしたり料理をしたり、趣味のダンスや歌謡曲を歌ったりそれは楽しいわよ。出雲国阿国さんにも会えるわ。スポンサーもちゃんといるのよ。世阿弥さんや利休さん、そして新しいところでは歌麿さんなどよ。変わったところでは隆の里さんかしら。  ねえあなた、世間とは捨てたもんじゃ無いわよ。友達にあなたの出身地鳥海笹髙原を話したら、まあ驚いていた。  姓名は結婚し変わってしまいましたが、紫式部清少納言和泉式部、桜桃子、高橋燕子花さん方はみなあなたのこと知っていましたよ。嫁いでも再会できる日を待っていますと伝言をも預かっています。  なんと同窓生で小学校中学校九年間の竹馬の友だなん、て。いいわね。  エエッ、そんなことあるんですか。    偶然なのか誰かの導きか定かでは無いが不思議とはこのこと。貫之は驚きのあまり絶句する。こんな事が世に存在しているなんて。  燦めく中学時代と幼い小学時代に毎日顔を会わせた。もうあれから十年、十一年も経ている。奇遇と言うのにも当てはまらない。 女史さん、どうしてこうも不思議なことが起きる物でしょう。首を傾げても思いを巡らせても不可解と言いましょうか、この偶然はこの上なく幸いをもたらしてくれていますが、なにか話が余りにもよく出来すぎてやや怖いです。  おほほー、何をか狼狽えるようで可笑しいですよ。あなたはまるで夢を見ている中で私とこうしてお話していているんではないです。  世の中の不幸が貴方様に落ちかかってきたというのでも無いのです。私には足も手もあります、どうぞ手を握り確かめて下さい。  熱い息もあります。ブラウスの下には心臓と乳房もあります、どう大きいでしょ。完全生身の女ですもの。  イッチ ラブリィ(It`s lovely) これが私たちの合い言葉よ。美しくない世にあえて美しく生きる。醜い世にあえて美しく生きる。  差別と圧迫、人権蹂躙のこの地と人々にも笑顔で接する。仏を越える仏にはなれないが、私達は天女よ、世を照らす、万物と万世は私達の源、源流であれ。このように祈念しているのです。 ㊳ 桜桃子の物語  ねえ、貫之さん。私達がなぜこのような心境になりそしてあえて困難に立ち向かうこの心を知りたいでしょう。  そうそうあなたの境遇にもある意味では似ているわよ。人には言いがたいような事情と奇妙な運命があるのよ。  あなたはもう私達の仲間だからいいでしょう、プライベートの中身まで踏み込まないと理解できないでしょう。  お互いの秘密は此所ではありません。それどころか皆がお互いを理解して固い絆が出来ています。この友愛は大地が割れ裂けてもビクともしません。話してもらい分かって欲しい、隠す物何もない。世の常識とは相容れない。みなこう申しております。  あなたの中学三年生の時のクラスメイトの桜桃子さんを知っているでしょう。あの人もかわいそうな人よ。数奇な運命があったんですもの。しかし彼女の強さはこの目を覆う苦境の中でも負けずに生きたんです。  〃いいじゃないの、今がよけりゃ いいじゃないの、しあわせならば〃 佐良直美の歌が自分の人生と言ってました。皆が大笑いしたんです。余りにもあっけらかんに明るい桃子に悲しみと同情を忘れて、吹き出すやら、転げ回るやら、それは楽しい人です。  燕子花さんは、好いわね、私達のコミュニティー歌にピッタリよ、というので私達の共有の讃歌になったんです。  村に二軒しかない魚屋さんが彼女の家の家業よ。勝治さんも良く学校の帰り彼女の店に魚や乾物を買いに来ていたことを思い出すと言っていたわよ。  彼女が言うには、いつもクラスと学校でしか目を合わせたことが無い貴方が私に家の店に来てオドオドしたような目をして私に問いかけるのはなぜ?。あのクラスにいる威風堂々とした姿が、そう思ったと言っていましたよ。  そうですか、オドオドして彼女を見ていたんですね。利発で顔がまん丸で今流のチビマル子が中学生になったようで可愛かったんです。    はいはいご馳走様、今の話しをお伝えしますよ、桃子のうれしそうな笑顔今すぐご覧あれ。幸せよ、今この時はあの過去の出来事をまるで生き物のように再びの出逢いを作る。理由も不可思議も無い、いい世の中の風が私達に吹いているのです。  此所までこのように心を入れ変え辿り着くくには長い道のりがあるんです。中学卒業後はお互いですが、同級生のみなのその後のことを知らないでしょう。最初は私の尊敬する桃子さんからお話をしていきましょう。    桃子は三人兄弟姉妹でした。高校卒業後家業の魚屋をひとつ上の姉と一つ下の弟とそして両親の五人で繁盛するお店の手伝いに追われていたのよ。  この時代のころともなれば、村人の現金収入も徐々に増え始め、お盆と正月だけで無く日常的に魚を買い食べれるようになっていました。  仁賀保、金浦,本荘港、秋田港、入道崎に至るまで競って問屋が桃子の〃さくらかつお商店〃へ魚を卸しに自動車で押し寄せて来たんです。その賑わいは喩えようも無い、押すな押すなの行列が桃子の店はひとだかりです。村人は新鮮で安く旨い魚の味をこの桃子の店で買った魚から知ったんです。  何ですか、お父さんは将来のためだなんて、そんな貯金までして。消費税や付加価値税の先取りはだめよ。お客様から余計なお金を頂いたら罰あたります。消費税の時代はまだまだ先です。  古新聞雑誌は板金に等しいんだ。魚を包む紙が無いんだ、包装紙がこれほど大事なのか、身をもって知る。木箱なんかはもう高級魚の贈答用にしか使えない。高価で手に入らない。  お前の中学高校のノートが沢山あるなあー、少し小さいが魚を包むのに使うから、いいか。   ダメー、絶対。  とは言え鰰一箱二百五十円、木箱百円、これでは魚が高いか木箱が高いか、魚を買って貰うのか木箱を販売しているのか分からなくなった。これに悩む桃子がいた。魚は飛ぶように売れこれにつられて雑貨類も売れる。  商売は順調で冷蔵庫も二台、三台と増やし最新鋭のショーケース冷蔵庫まで揃えた。  これを見たお客は硝子の箱の中で魚がコチコチになって泳いでいる、都会でも数少ない小型水族館だそうだ。噂は広まり何処に落ち着くか誰にも分からない。    朝八時に開店し昼の十二時には完売、こういう日が続く。魚屋には大体毎日同じ物が並んでいた。秋刀魚、烏賊、ロウソクホッケ、鰯、鱈など季節の物も多数有る。よく見かけたのが塩辛だ。辛とは塩味の事だった。  昆布、塩、醤油、味噌、納豆と様々あり缶詰類もあった。店の品揃えの多さは店の繁盛ぶりを良く表していた。店に活気があると町にも活気が流れてくる。村人の顔も大まかな話しぶりといい、歩き方も豪快に見えてくる。  桃子の店も町と呼ばれる他の店が何軒か並んでいる内の一つだったが道路を挟んでややはす向かい方向には村の支所もあったから中心だったろう。    桃子の店から百メートル少し離れてもう一軒の魚屋があり、その間に二軒の本屋兼文房具店、そして二軒の旅館がありその一つが黛淑子の生家である。  わずか四百メートルの距離を挟み道路の上方向、下方向に百五十メートルぐらい離れ郵便局と村の役場の支所があり、その頃はまだ珍しいい小さな電気店もあった。  電気製品と言ってもラジオを見たという記憶しか無い。また自転車店もあった。ブリヂストンという大きな立て看板が店を飾っていた。  この四百メートルそこそこの場所に農家の家並みに囲まれた約六百世帯の人々が買い物をする商店があった。  高度成長期に後押しされた景気が加熱し、最後の坂を登り終わるまで相当の時間があった。しかし人口だけが減少していくという曾て経験したことのない事態が進行していた。いいことはいつまでも続かない、悪い出来事もそうだが。  村人の収入が増えるにつれ子どもの出生率が激減した。曾て四クラスもあったのが小中学校のスタイルだった。  やがて時が移り変わり人々の意識も世の中の仕組みも変わっていく中で、じわじわ三クラスになり、二クラスとなり学級の松組、竹組、梅組という呼び名が消えた。あっという間に滑るように学校に行く子供がいなくなった。村の人口が急激に減少していく原因を作る。  加えて車を持つ農家が増え近隣の矢島、さらに本荘迄行き魚も衣服も買ってくるように生活スタイルが徐々に変化してくる。  これに対して村の町にある桃子の店ともう一軒の長介魚店は店に来る客を待たず車で店を出て朝早く売りに行商を始めた。  〃さくらかつお商店〃  と大声で村の道をエンジンで駆け廻る。だが昔の売れ行き繁盛は何処に消えた。車には氷に包まれた魚がざくざく出てくる。積んだ魚はいっこうに減らない。買う人の影が道にない。  まさか留守なのかこんな早い朝に何処へ出かけるのか。つい最近まで魚を積んだライトバンに人だかりとなって来ていたのにどうしたことか。  魚は木箱の中で恨めしそうに目を開く。氷はどんどん解ける。車からはその溶け出した水がドカドカ落ち始めてくる。  桃子の家は家族会議で店を縮小する決断に迫られた。この魚屋は桃子の父が二十代の青年の頃珍しくバイクに載せ売った事もある輝かしい歴史を持っている。もう二十年も前のことだが。  矢島、本荘の魚より高いのは当たりまでだ。此所まで持ってくるのに輸送コスト、車代ガソリン代、人件費は当然多くかかる。  農協も地元の信用金庫も欲しいだけ金は貸してくれると言っている。  農協の横の車が通る道路の前に空き地がある。笹村野宅の丁方向と松の木峠に向かう湯沢の方向に行くY字に自動車道路が交差するところがいい。  そうすれば両方向に行きまた二方向から帰るお客にも目に付きやすい。利便性を考えても此所しかないだろう。こう家族に提案したのは父だった。  ドライブインMAXという飲食店を建てようという計画だった。父の計画に家族も親戚も異論を述べられなかった。なんと言っても父がバイク、リヤカ、ー自転車で苦労して商売を始めた創業者だからである。 ドライブインの建設は急ピッチに進められた。店の前面は広い駐車場とし奥に急勾配の大きな屋根を赤く塗装し、誰からも一目でドライブインとはっきり分かるようにした。  町の中心と変わらない交通道路の要所であり好立地故敷地の価格も坪あたり笹村でも最高額だった。桃子の家族はドライブインのオープンの向かって舵は切った。  この町に飲食店は一軒も無い。店に入り食事をする習慣がそのものがない。魚は売ってきたもののお客に食事を作って出すサービス、接待業は初めてだ。  桃子は新しい店のドライブインを持つことに浮き浮きもしたが、店の売り上げの減少をまた車で売りに行っても買ってくれる人が少なくなった分を埋め合わせできるものだろうかと不安もあった。  そんな期待と不安の中いよいよ店の建物は完成にまでこぎ着け開店には相当の準備期間を要したが着々と進んでいった。大きな冷蔵庫も三台用意し、メニューを考え客単価を練った。  材料費、人件費、水道光熱費、借入金返済、利息の支払い、これらを計算すると一日一ヶ月一年の又一年の売り上げ目標が定まった。  華々しく遂にオープンを迎えた。しかしなぜか客足が集まらなかった。予測した売り上げが半分にしかならない。オープン直後からドライブインの経営は頓挫の憂き目に遭う。 一ヶ月間続けた。無理かもしれない。みな黙り込み心の中でそう言っている。結局客は来ず食事を作ることも疎らで店は閑散としていた。  まるで閉店日が開業日と背中合わせの状況だった。重苦しい雰囲気の中口を開いた桃子の父はこう言った。  本業の魚も売れなくなった。ドライブインもこのまま続けたら借金だけが増えるだろう。ドライブインの建設ため相当金をつぎ込んだが、売れないと建物も調理器具や備品の数々が粗大ゴミに見えてくる。メモを夜に書いておく。朝みんなが読んだら必ず焼いて捨てておけ。  〃よこはまのしりあいをたよれ〃  これを見た家族は父がいないことに翌朝に気付く。  青春女史は大きく息をして長い話しを噛みしめるように終えた。話しは長い様だけどこれは人生の一瞬の出来事です。桃子の人生はここで終わりではないんです。  通り過ぎた不幸を世に知らしめ逆境の人を救う、これが桃子に与えられた天命です。お話しを分かりましたか、貫之さん。  そうだったんですか、夜逃げ同然で住み慣れた地を去らなければならなかったとは、何とも気の毒なことです。あの輝く笑顔にその様な哀しい出来事が起きたとは信じがたいです。  さほど大きな不幸に会うこと無く生きていける人もあれば、思わぬ不幸に見舞われる方もある。人の禍福は最後の一息を吸い終えるまで分からない。  その桃子さんはこの町の近くにいるんですね。再会をしたその時は何という言葉で始めればいいのか。 はい、この町には桃子さんをはじめ仲間の友がおります。小学生、中学生とあなたのパートナーでした、と言ってましたよ。今は清少納言と言う人です。  お二人で色々楽しい思い出を持っているようですね。貫之さんのことよく言ってましたよ。  ㊴ その後の紫式部    小学校の低学年の時黒板に書かれた算数の問題が分からなくて何時も二,三人残されていた。 みんな問題を解いて出来た順に帰っているのにまた残されて何してんのかなと式部は良く思ったと言ってました。その頃は勉強の出来ない全くの劣等生でしたね。  それが小学生の高学年の五,六年生ではクラスの委員長だったり、とても勉強熱心な小学生に大変身していた。  何が此所までこうさせた。蝶々か鬼ヤンマか蝉か鯉のぼりか、みなを驚かせた話しは有名でした  貫之さん、式部の卒業後を御存知で無いでしょう。彼女も数奇な運命に翻弄され捻られ踏み倒された人よ。中学卒業後本道吟醸市の由利女子校に入学し卒業した人です。    ここから式部の忙しい日が続く。神奈川県三浦三崎の市役所に就職し、夜は教員免許を取るため東京神田水道橋の日大に入学した。    役所が閉まる五時に久里浜から横須賀線で大船まで行き、すぐ東海道線の快速電車〃すぐ着く象〃に乗り換え東京駅についた。  そして快速のオレンジ色の俺俺電中央線に乗りお茶の水総武本線の各駅停車の黄色い電車〃もう少しだ象〃の水道橋で下車すると目の前に日大経済学部がある。  距離は遠いようだが快速電車、特急電車に乗れば意外に早い。ノンストップ〃すぐ着く象〃なんかとても便利だった。俺俺電とかいい電なんて変わった名前は賑やかな都会に来たようで面白い。 此の曲と 選んで決めた 逞しい腕がを式部を導いていた。    「ホテルカリフォルニア」のミュージックが遂に苦しそうな歌声で車内の式部の体を痺れさせる。     〃どうこれ、光源氏紫式部のサラダ記念日よ〃  そう言う式部は幸せの絶頂、恋のハレルヤ真っ最中です。    それもそのはず、急がしい毎日が続いていたさなかのある日曜日、式部は名向崎の磯を眺めていた。  山しか知らない式部に魚種のメジナ クロダイ ウミタナゴ メバル カサゴ カレイ、カワハギ イワシ アジ サバと市役所の同僚の会話が飛び交っていたのが耳から離れない。休憩時間にもなるといつも磯釣りの話題でみんなが白熱の議論を交わし騒然としている。。  あの磯が穴場だ、いや餌が違う、何年三浦三崎に住んでいるんだ、議論が熱を帯びてくる。そんな様子はとても海と磯と魚が好きな昔から漁獲に恵まれた海辺の人という証だろう。  ナメコと竹の子しか知らない山地育ちの式部には、海辺の町の人々が好奇心に満ち毎日が活気のある地域、海岸線の風景は別の世界に来たように思えた。  今日も天気はいい。波も潮風もいい感じ。きっと磯釣りに出ているだろうあの人とも。と見渡すと、いたいた今日もあの人がいた。  私のメジナクロダイのようなもんよ。一本釣りでゲットしよう。  式部は道路を降りて岩肌に身を持たせながら恐る恐る男に近づく。近寄るにつれ波のしぶきが頭の上から降ってくる。  遠くで見た目以上に、波も荒く意外と高い。近づくと様子は一変する。岩に波が砕ける震動がドーン、ドーンと重い響きとなり足と両手から伝わってくる。 、  〃潮がぶつかるポイントを狙うんだ、潮目を狙うとメジナクロダイが釣れるだ〃  あれれー、この人ったら私がもう後ろに来ているのに知らんぷりしている。何やら忙しく一人で大声まで海に向かって出してる。  すると男はとうとう釣り糸をたぐりながらゆっくりと式部の方に振り向きながら言った。    おい其処のお嬢さん、黒潮にさらわれて漂流して、青い目の人形になってアメリカ人になりたいのか、それとも黒潮の流れに逆らって貧民国のフィリピン人のお嫁さんになりたいのか。そんなとこにポツンといたりして、ジョン万次郎がさらうまえに高波にさらわれるとは奇怪な運命を待つ人よ。  何よあんたー、よくぞ侮辱してくれたわね。あんたこそ岩の足場を滑らせてボドンと海の中や。    クロダイの夕飯のおかずになりたいのか。それに何その顔、男前の後ろ髪と思いきや、目も顔もムツゴロウそっくりなんですね。 そうとも鯥五郎守光源氏とは僕のこと。まるで、女に振られて困っている?、そんな風に見えるって、その逆なんですよ。ウンカの様に女が寄ってくる。蚊取り線香でも焚いて静寂な時を楽しみたいものだ。  何よ、その高慢ちきな態度、許しません。  旅は道ずれ、釣りは二本づり、宮本武蔵の二刀流を越えた。道元禅師の免許皆伝、心身脱落の境地今会得したり。  何をいってんだか、高慢ちきに更に傲慢ち き。  ははー、父が諫早の漁師だったんだよ。諫早湾干拓で大浦漁民、有明海漁民は海を追われたんだ。千百四十七人が佐賀地裁に提訴、十次提訴で原告は計二千二十九人にもなった。暗い話となった。  かつて湾はタイラギ漁、アサリの養殖、車エビ漁、カニやシャコと水産資源の宝庫でした。  干拓とは漁民を海から陸にぶん投げてしまう暴挙なのです。そんな中で生まれた私をムツゴロウという可愛い名前にしたのです。  まあ、そうとは知らず失礼しました。私の知らないあなたのことも色々話してくれてありがとう。  人には話せないこともたくさんあるのに初対面の人に包み隠さず境遇と心境を述べる事が出来る、そんなあなたは私にとてもいい人に見えます。  あなたは私の遠い未来、あなたの背にする夕焼けは諫早の潮の匂いがします。 そうですか、今日お会いした貴方こそ山の娘ロザリアのようです。僕はもうロシア人になります。ロシアから愛を込めて。  〃男の夢さ、一本釣りは〃  こう言いたいね。あなたは山の娘、山に登る月山の月を見て、太陽は丁岳の出羽山地に沈む。  星も、棚引く雲も雨も風もみな山の幸が源です。これからは海の風、海から上り海に沈む夕日そして月と星を見ることでしょう。  さ私達の舞台は整いました、今はその準備です。しかし楽しみは最後まで残すのがいい。大物を釣り上げるのに何の苦労もしない、それは大物と言わ無い。  大きいのがいいのではありません。要は中身と外見の美しさです。黒鯛じゃ有るまいし簡単に釣れると思ったら大間違い。心に美しさが無ければ夕日もマッチ棒の火もおなじようなものよ。ありふれたムツゴロウで終わってはなりません。  山育ちの山の娘は手厳しいね。山への憧れが海への憧れに変わりますよう、海の神にお参りしなくてはいけないようだ。  あの山もずるずると蕎麦を食べる音のように、海の中に入れと、念ずればそうなる。心地いい風は森の新緑の五月風だけじゃ無い。  潮風が若者の気持ちを熱くする。貝が見ていようが魚が出てこようが、海は太古の人類の故郷。日本人の祖先は黒潮に乗ってきた海洋民族と言われています。  あなたの古代遙かな祖先は樺太までマンモスを追ってきたのかもしれないな。そうなれば狩猟民族と言うことか。山の娘のいいところは心が螺旋状に曲がっていない、素朴な素麺か冷や麦の感触がする。  綠走れり 夏料理 とは   ここにいる私の前のロザリアのこと。まっすぐ伸びた竹のように清冽した美しさが静寂の中から伝わってくるようです。燕子花をあしらったロングスカートに麦わら帽子は眩しい。  あなたといると僕の心は折れない。何でも楽しく受け止められる。遠い昔に忘れたものに偶然巡り会えたようにもなります。 私は曾てタロスケという愛犬を不慮の事故で亡くしました。その悲しみは十三周忌をむかえる今年の十月九日も変わることがないでしょう。以下の様に光源氏は昔を思い出し書き綴った。 ㊵ タロの歌・タロの四十九日 タロの四十九日の翌朝には 冷たい雨が降り続いていた 十月の九日は忘れられない 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ タロは板に挟まり死んでしまった 命の終わったタロを抱きしめて 家族のみんなが泣いていたんだ 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ 黒い幕を下ろして眠る瞳 明るい太陽は映らない あの日からもう二度と幸せはこない 目をさませタロ 蘇れタロ 亡くなったあの夜に ワーンと家の中で鳴き声を聞いた タロは自分の役割終わったように 九年の命を閉じてしまった 子供の成長を見届けるように 動かないタロ 冷たくなったタロ 横たわったままに並んだ 白いタロの骨を好は拾った 昨日の出来事のように思い出し 遠い昔のようにも思われる 生き者の命は重くて小さい 母が死んで十七年 父も死んでもう七年 みんなの体がなくなったから 一緒にタロと好はもう遊べない 春の暖かい日が注ぎ込む ポツリとタロのおうちはベランダにある おちゃわんもお薬もみんなそろえた なにか足りないタロ 写真の中のタロ そう言ってる そう言ってる ポツリとタロのおうちはベランダにある 今年の八月の十三日には みんなが帰ってくるお盆だから タロスケもご自慢の尻尾を振って 母に抱かれてタロ 父がリードを引いて きっとそうして きっとそうなる 八月の十三日にタロは帰る 再び生まれ変わって地上にいる お空の七夕様のよい知らせ ご飯もお水も沢山あって 何の心配もない 本当によかった だから心配しないでいいよと ワーンとタロはいつもそう言っている 今度タロにあったら話してやる 苦しく寂しかったねと抱きしめて 何度もタロの毛がすり切れるほど 慰めてやる 散歩の時のように だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 今度タロにあったら話してやる あああー 久しぶりねと抱きしめて これからは絶対に離しはしない だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 本当に楽しかった思い出がいっぱい キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった みんな帰ってくるタロと一緒に来る 猫のテンコロも文鳥のブンも 好の胸へ嬉しそうに駆けつけてくる みんな帰ってくる本当によかった みんなそろって本当に楽しい 楽しいこの出会いは永遠に続く ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好のもとへ帰ってくる ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好の元へ帰ってくる 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く お帰りなさい タロ テン ブン お久しぶりね タロ テン ブン お休みなさい ンー ンー ンー   ㊶ 好おとうさんタロは帰って来たよ   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   遠い遠い   はるかな国から   帰ってきた   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   しょんぼり してては   たいせつな思い出が   ゴミになってしまう   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   その時間は   とても長くて   信じられないような   時間がかかる   山を越えて   川を渡り 空をかけて   星を巡って   帰ってきた   その時間は   五十六億七千万年    ㊷ 大きなタロが 大きなタロが 大きな空に現れた   顔の黒い鼻は沖縄迄届いて ふさふさの尾っぽは北海道の国後島迄 続いている 朝日に輝くお腹の白い毛は 私の住む関東地方上空あたりか 大きなタロが 大きな空に現れた 私が生前撮ったアルバムの写真さながら うれしそうに遊んでいる 大きな空から 大きなタロが 切れ長の目で私を見つめている かつてお手をした柔らかいタロの手が 私の目の前に降りてきて今にも触れそう   だ 大きなタロは 夢か幻か奇跡か はた天国の風景なのか 大きなタロは 大きな空で うれしそうに遊んでいる アルバムの写真さながら (以上)大きなタロが 切れ長の目で私を見つめている かつてお手をした柔らかいタロの手が 私の目の前に降りてきて今にも触れそう   だ 大きなタロは 夢か幻か奇跡か はた天国の風景なのか 大きなタロは 大きな空で うれしそうに遊んでいる アルバムの写真さながら (以上) 貫之は青春女史と出会いを果たし、     紫式部清少納言和泉式部と再会する その頃、貫之もやはり地元を離れていた。 壬生や躬恒に比べたら温和しく穏やかだった。既に、彼の実家の周りはみな敵だった。  本家親戚近所まであれこれと言いながら差別を堂々としていた。東北人の水飲み百姓に貶されてなるものか。     四面楚歌になりつつも、温和しい貫之だったが、今に見ておれ、そう言い残し家を後にした。本道吟醸地区の支援者に紹介してもらったアルバイトが束の間の収入源になった。  とある日のこと、それは偶然にやって来たのか、必然の出逢いなのか、ステージの幕は切って落とされた。ここから長い物語が始まる。  それは、バイクに乗って精肉店のアルバイトの配達をし家々を廻っていた時の事だった。  出掛ける前に、店のお上さんは良く細かく配達の道も要領も教えてくれた。  あそこの家に着くと立派なお勝手があります。玄関からは決して入らず、声もお勝手から掛けて挨拶してから配達するようにお願いします。  こう教えられてその通りに実行したときのことだった。  まああなたね、阿倍さんからお聞きしましたよ。大学を出て故郷に尽くそうとしてわざわざみんなのいやがる古い因習と柵の町に来られたんですってねえ。    阿倍さんとは壬生のアルバイト先の中国湖北省武漢出身の阿倍仲麻呂精肉店のことだった。   はい、暫くこのお仕事のお手伝いで配達に伺います。どうぞお見知りおき下さい。  まあ、学生さんのように肩ぐるしい挨拶な事。あんまりこちこちだと肩こるわよ。  まあ、人には言いがたいようなわけも出来事もあるから、そんな事承知よ、出逢いは縁よ、気を楽にしましょう。  あなたもクヨクヨせず楽しく生きましょう。たった一度の人生だから。  あなたの少し陰りのある目差しは、にしきのあきらに似ているわね。空に太陽がある限り、限りある人生でこう歌いこう叫んで、こんな長閑な昼下がりは体全体で心ゆくまで踊ってみたいわ。  あなたの頑張りもよく分かるるわよ。それぞれの与えられた道と境遇でみんな生きているのよ。  あなたちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ。すぐ準備するからお仕事の最中だからね。ほんの二,三分よ、いいこと。  それから、次の家の配達に廻っていた。来る日も来る日も配達の仕事が続いた。  単調な日々だったが、仕事が無く腐りきった魚の様な身の上に現れた一輪の花。目の前に天から降り注いで地中から生まれ出でて来たかのような花。  川を流れ海岸に着く。この地の自分がいる所に流れ着いた希望の光を感じた。仕事がある人と無い人にはこんな違いが出てくる。  周りは秋田の寒風と非人情な暴漢しかいないと思っていたが、世の中は広い。探せば人情に突き当たるものなのか。  それからしばらく配達の仕事に追われていた。ある日店主の仲麻呂さんに連れられて、海岸線にある苫屋みたいにな殺風景な作業場に行った時のこと。  そこは牛、豚、鶏の屠殺場だった。その場にはなんと最初に肉の配達をしたにしきのあきらファンの彼女がニコニコして迎えてくれた。    どう怖い、私は最初とても怖くて一年間は夢に見たのよ。牛の悲鳴、豚の逃げ回る様、鶏の目が恨めしそうに飛び出したり、食べられる運命の生き物の最後の姿を。    私は食われるためにそして人間の食事のおかずになるしかない。  食う者は食われた者の怨霊を毎夜聴くことになる。人間も人間社会に於いても然り、この法則から逃れられない。    動物たちにこう言って手を合わせるのよ。極楽天国の門は険しく辛いと。  地獄の苦しみを身に背負った生き物だけがこの門を叩き押して開き清浄な世界に入場できる資格を得るのです。    食う者と食われ者は、虐げる人と虐げられる人の関係でもあるんです。  人は一週間飲まず食わずでいたら死ぬでしょう。人の命とは何と儚く作られたのでしょうか。  一杯の水一杯のご飯と西欧の国では数詞を被らせて、一杯のコーヒー等と言う。  時には一杯が命を救う一滴にならんことを意味します。人は食なくして生きられません。まるで無用の数詞は死ぬべき者と死者に用意された一杯のコーヒーです。神を区分する衣食住には不用。  私達の目指すコミュニティーにはモデルは有りません。強いて言えば、一人一人の七人の個性が作るのです。あなたを入れて七人の侍です。  かつて、宮崎県児湯郡木城村、埼玉県入間郡毛呂山町に建設を目指した先人はおりますがその様な村ではありません。  文明が高度に発達し医療教育社会福祉インフラの充実度仕事の獲得、住みやすい県のナンバーワンは何処でしょう。  今では童話か演劇の舞台たると言えるでしでょう。あなたも一度でも考え空想したことがありますか。実現は可能です。人口七人のトトロです。  ここの私達の住む地域の中に、小さなとても小さな狭山丘陵に囲まれたトトロの森を建設します。  ああ広いこの空、私達の目的を達成する地は、蛙が飛び込む井の大きさぐらいにしかならないかもしれない。しかし大きさは絶対的ではないでしょう。大きさは人の心の持ちようで、他に変えることの出来ない物を得る入り口です。  私は大空に向かいこう祈ります。大空よあなたも私も限りなく広い。大いなる心を持ち大地を草花の綠で潤して欲しい。私の成長はあなたの成長、私の生涯はあなたの虚空そのものです。  人存在する故に神在り。これが私どもの究極の根本思想です。我々に死ぬという運命が待ち受けている、それが何でしょう。    我々は子孫に語り続けられ永遠に生きるのです。しかし残酷な者がこの世に存在します。アダムとエバの子孫だとは、ノーモア広島長崎のレベル。そして油煮えたぎる羊好色家アブラムの子孫とは、考えるのもけがわらしい。  人の人たる系統血筋は人だけに与えられた特質なんです。罪に対する報いは死である。実に窮屈な見方です。  人に原罪など存在しません。あるのは天地を敬う本来の崇拝だけです。  人を無用にして裁くものが裁かれる対象です。私達には悪人も善人もおりません。だれがどのような根拠でこう呼ぶのでしょう。肩書、地位、出自これらはみな人の重荷であり、足枷であり、頚木なのです。  この地は私達が築き上げる王国でありコロニ(colonie) と呼ぶにふさわしいでしょう。 そういう彼女は青春女史と言う人だった。彼女の主人は青春歌謡曲という音楽事務所の社長仙昌夫という人で、かつてスターを輩出させ巨万の富を得た。  しかし好いことは長続きせず脱税疑惑、政治献金と政界への進出の失敗で散財した。そして本業の音楽事務所からはスターがピタリと出なくなり倒産した。 青春女史が豪華な暮らしから目を覚した時は、自身が池袋や京都のバーやナイトクラブの酌婦になっていた。    私達は花の28組(にっぱちぐみ)会を作っているのよ。お花見をしたり料理をしたり、趣味のダンスや歌謡曲を歌ったりそれは楽しいわよ。出雲国阿国さんにも会えるわ。スポンサーもちゃんといるのよ。世阿弥さんや利休さん、そして新しいところでは歌麿さんなどよ。変わったところでは隆の里さんかしら。  ねえあなた、世間とは捨てたもんじゃ無いわよ。友達にあなたの出身地鳥海笹髙原を話したら、まあ驚いていた。  姓名は結婚し変わってしまいましたが、紫式部清少納言和泉式部、桜桃子、高橋燕子花さん方はみなあなたのこと知っていましたよ。嫁いでも再会できる日を待っていますと伝言をも預かっています。  なんと同窓生で小学校中学校九年間の竹馬の友だなん、て。いいわね。  エエッ、そんなことあるんですか。    偶然なのか誰かの導きか定かでは無いが不思議とはこのこと。貫之は驚きのあまり絶句する。こんな事が世に存在しているなんて。  燦めく中学時代と幼い小学時代に毎日顔を会わせた。もうあれから十年、十一年も経ている。奇遇と言うのにも当てはまらない。 女史さん、どうしてこうも不思議なことが起きる物でしょう。首を傾げても思いを巡らせても不可解と言いましょうか、この偶然はこの上なく幸いをもたらしてくれていますが、なにか話が余りにもよく出来すぎてやや怖いです。  おほほー、何をか狼狽えるようで可笑しいですよ。あなたはまるで夢を見ている中で私とこうしてお話していているんではないです。  世の中の不幸が貴方様に落ちかかってきたというのでも無いのです。私には足も手もあります、どうぞ手を握り確かめて下さい。  熱い息もあります。ブラウスの下には心臓と乳房もあります、どう大きいでしょ。完全生身の女ですもの。  イッチ ラブリィ(It`s lovely) これが私たちの合い言葉よ。美しくない世にあえて美しく生きる。醜い世にあえて美しく生きる。  差別と圧迫、人権蹂躙のこの地と人々にも笑顔で接する。仏を越える仏にはなれないが、私達は天女よ、世を照らす、万物と万世は私達の源、源流であれ。このように祈念しているのです。 ㊳ 桜桃子の物語  ねえ、貫之さん。私達がなぜこのような心境になりそしてあえて困難に立ち向かうこの心を知りたいでしょう。  そうそうあなたの境遇にもある意味では似ているわよ。人には言いがたいような事情と奇妙な運命があるのよ。  あなたはもう私達の仲間だからいいでしょう、プライベートの中身まで踏み込まないと理解できないでしょう。  お互いの秘密は此所ではありません。それどころか皆がお互いを理解して固い絆が出来ています。この友愛は大地が割れ裂けてもビクともしません。話してもらい分かって欲しい、隠す物何もない。世の常識とは相容れない。みなこう申しております。  あなたの中学三年生の時のクラスメイトの桜桃子さんを知っているでしょう。あの人もかわいそうな人よ。数奇な運命があったんですもの。しかし彼女の強さはこの目を覆う苦境の中でも負けずに生きたんです。  〃いいじゃないの、今がよけりゃ いいじゃないの、しあわせならば〃 佐良直美の歌が自分の人生と言ってました。皆が大笑いしたんです。余りにもあっけらかんに明るい桃子に悲しみと同情を忘れて、吹き出すやら、転げ回るやら、それは楽しい人です。  燕子花さんは、好いわね、私達のコミュニティー歌にピッタリよ、というので私達の共有の讃歌になったんです。  村に二軒しかない魚屋さんが彼女の家の家業よ。勝治さんも良く学校の帰り彼女の店に魚や乾物を買いに来ていたことを思い出すと言っていたわよ。  彼女が言うには、いつもクラスと学校でしか目を合わせたことが無い貴方が私に家の店に来てオドオドしたような目をして私に問いかけるのはなぜ?。あのクラスにいる威風堂々とした姿が、そう思ったと言っていましたよ。  そうですか、オドオドして彼女を見ていたんですね。利発で顔がまん丸で今流のチビマル子が中学生になったようで可愛かったんです。    はいはいご馳走様、今の話しをお伝えしますよ、桃子のうれしそうな笑顔今すぐご覧あれ。幸せよ、今この時はあの過去の出来事をまるで生き物のように再びの出逢いを作る。理由も不可思議も無い、いい世の中の風が私達に吹いているのです。  此所までこのように心を入れ変え辿り着くくには長い道のりがあるんです。中学卒業後はお互いですが、同級生のみなのその後のことを知らないでしょう。最初は私の尊敬する桃子さんからお話をしていきましょう。    桃子は三人兄弟姉妹でした。高校卒業後家業の魚屋をひとつ上の姉と一つ下の弟とそして両親の五人で繁盛するお店の手伝いに追われていたのよ。  この時代のころともなれば、村人の現金収入も徐々に増え始め、お盆と正月だけで無く日常的に魚を買い食べれるようになっていました。  仁賀保、金浦,本荘港、秋田港、入道崎に至るまで競って問屋が桃子の〃さくらかつお商店〃へ魚を卸しに自動車で押し寄せて来たんです。その賑わいは喩えようも無い、押すな押すなの行列が桃子の店はひとだかりです。村人は新鮮で安く旨い魚の味をこの桃子の店で買った魚から知ったんです。  何ですか、お父さんは将来のためだなんて、そんな貯金までして。消費税や付加価値税の先取りはだめよ。お客様から余計なお金を頂いたら罰あたります。消費税の時代はまだまだ先です。  古新聞雑誌は板金に等しいんだ。魚を包む紙が無いんだ、包装紙がこれほど大事なのか、身をもって知る。木箱なんかはもう高級魚の贈答用にしか使えない。高価で手に入らない。  お前の中学高校のノートが沢山あるなあー、少し小さいが魚を包むのに使うから、いいか。   ダメー、絶対。  とは言え鰰一箱二百五十円、木箱百円、これでは魚が高いか木箱が高いか、魚を買って貰うのか木箱を販売しているのか分からなくなった。これに悩む桃子がいた。魚は飛ぶように売れこれにつられて雑貨類も売れる。  商売は順調で冷蔵庫も二台、三台と増やし最新鋭のショーケース冷蔵庫まで揃えた。  これを見たお客は硝子の箱の中で魚がコチコチになって泳いでいる、都会でも数少ない小型水族館だそうだ。噂は広まり何処に落ち着くか誰にも分からない。    朝八時に開店し昼の十二時には完売、こういう日が続く。魚屋には大体毎日同じ物が並んでいた。秋刀魚、烏賊、ロウソクホッケ、鰯、鱈など季節の物も多数有る。よく見かけたのが塩辛だ。辛とは塩味の事だった。  昆布、塩、醤油、味噌、納豆と様々あり缶詰類もあった。店の品揃えの多さは店の繁盛ぶりを良く表していた。店に活気があると町にも活気が流れてくる。村人の顔も大まかな話しぶりといい、歩き方も豪快に見えてくる。  桃子の店も町と呼ばれる他の店が何軒か並んでいる内の一つだったが道路を挟んでややはす向かい方向には村の支所もあったから中心だったろう。    桃子の店から百メートル少し離れてもう一軒の魚屋があり、その間に二軒の本屋兼文房具店、そして二軒の旅館がありその一つが黛淑子の生家である。  わずか四百メートルの距離を挟み道路の上方向、下方向に百五十メートルぐらい離れ郵便局と村の役場の支所があり、その頃はまだ珍しいい小さな電気店もあった。  電気製品と言ってもラジオを見たという記憶しか無い。また自転車店もあった。ブリヂストンという大きな立て看板が店を飾っていた。  この四百メートルそこそこの場所に農家の家並みに囲まれた約六百世帯の人々が買い物をする商店があった。  高度成長期に後押しされた景気が加熱し、最後の坂を登り終わるまで相当の時間があった。しかし人口だけが減少していくという曾て経験したことのない事態が進行していた。いいことはいつまでも続かない、悪い出来事もそうだが。  村人の収入が増えるにつれ子どもの出生率が激減した。曾て四クラスもあったのが小中学校のスタイルだった。  やがて時が移り変わり人々の意識も世の中の仕組みも変わっていく中で、じわじわ三クラスになり、二クラスとなり学級の松組、竹組、梅組という呼び名が消えた。あっという間に滑るように学校に行く子供がいなくなった。村の人口が急激に減少していく原因を作る。  加えて車を持つ農家が増え近隣の矢島、さらに本荘迄行き魚も衣服も買ってくるように生活スタイルが徐々に変化してくる。  これに対して村の町にある桃子の店ともう一軒の長介魚店は店に来る客を待たず車で店を出て朝早く売りに行商を始めた。  〃さくらかつお商店〃  と大声で村の道をエンジンで駆け廻る。だが昔の売れ行き繁盛は何処に消えた。車には氷に包まれた魚がざくざく出てくる。積んだ魚はいっこうに減らない。買う人の影が道にない。  まさか留守なのかこんな早い朝に何処へ出かけるのか。つい最近まで魚を積んだライトバンに人だかりとなって来ていたのにどうしたことか。  魚は木箱の中で恨めしそうに目を開く。氷はどんどん解ける。車からはその溶け出した水がドカドカ落ち始めてくる。  桃子の家は家族会議で店を縮小する決断に迫られた。この魚屋は桃子の父が二十代の青年の頃珍しくバイクに載せ売った事もある輝かしい歴史を持っている。もう二十年も前のことだが。  矢島、本荘の魚より高いのは当たりまでだ。此所まで持ってくるのに輸送コスト、車代ガソリン代、人件費は当然多くかかる。  農協も地元の信用金庫も欲しいだけ金は貸してくれると言っている。  農協の横の車が通る道路の前に空き地がある。笹村野宅の丁方向と松の木峠に向かう湯沢の方向に行くY字に自動車道路が交差するところがいい。  そうすれば両方向に行きまた二方向から帰るお客にも目に付きやすい。利便性を考えても此所しかないだろう。こう家族に提案したのは父だった。  ドライブインMAXという飲食店を建てようという計画だった。父の計画に家族も親戚も異論を述べられなかった。なんと言っても父がバイク、リヤカ、ー自転車で苦労して商売を始めた創業者だからである。 ドライブインの建設は急ピッチに進められた。店の前面は広い駐車場とし奥に急勾配の大きな屋根を赤く塗装し、誰からも一目でドライブインとはっきり分かるようにした。  町の中心と変わらない交通道路の要所であり好立地故敷地の価格も坪あたり笹村でも最高額だった。桃子の家族はドライブインのオープンの向かって舵は切った。  この町に飲食店は一軒も無い。店に入り食事をする習慣がそのものがない。魚は売ってきたもののお客に食事を作って出すサービス、接待業は初めてだ。  桃子は新しい店のドライブインを持つことに浮き浮きもしたが、店の売り上げの減少をまた車で売りに行っても買ってくれる人が少なくなった分を埋め合わせできるものだろうかと不安もあった。  そんな期待と不安の中いよいよ店の建物は完成にまでこぎ着け開店には相当の準備期間を要したが着々と進んでいった。大きな冷蔵庫も三台用意し、メニューを考え客単価を練った。  材料費、人件費、水道光熱費、借入金返済、利息の支払い、これらを計算すると一日一ヶ月一年の又一年の売り上げ目標が定まった。  華々しく遂にオープンを迎えた。しかしなぜか客足が集まらなかった。予測した売り上げが半分にしかならない。オープン直後からドライブインの経営は頓挫の憂き目に遭う。 一ヶ月間続けた。無理かもしれない。みな黙り込み心の中でそう言っている。結局客は来ず食事を作ることも疎らで店は閑散としていた。  まるで閉店日が開業日と背中合わせの状況だった。重苦しい雰囲気の中口を開いた桃子の父はこう言った。  本業の魚も売れなくなった。ドライブインもこのまま続けたら借金だけが増えるだろう。ドライブインの建設ため相当金をつぎ込んだが、売れないと建物も調理器具や備品の数々が粗大ゴミに見えてくる。メモを夜に書いておく。朝みんなが読んだら必ず焼いて捨てておけ。  〃よこはまのしりあいをたよれ〃  これを見た家族は父がいないことに翌朝に気付く。  青春女史は大きく息をして長い話しを噛みしめるように終えた。話しは長い様だけどこれは人生の一瞬の出来事です。桃子の人生はここで終わりではないんです。  通り過ぎた不幸を世に知らしめ逆境の人を救う、これが桃子に与えられた天命です。お話しを分かりましたか、貫之さん。  そうだったんですか、夜逃げ同然で住み慣れた地を去らなければならなかったとは、何とも気の毒なことです。あの輝く笑顔にその様な哀しい出来事が起きたとは信じがたいです。  さほど大きな不幸に会うこと無く生きていける人もあれば、思わぬ不幸に見舞われる方もある。人の禍福は最後の一息を吸い終えるまで分からない。  その桃子さんはこの町の近くにいるんですね。再会をしたその時は何という言葉で始めればいいのか。 はい、この町には桃子さんをはじめ仲間の友がおります。小学生、中学生とあなたのパートナーでした、と言ってましたよ。今は清少納言と言う人です。  お二人で色々楽しい思い出を持っているようですね。貫之さんのことよく言ってましたよ。  ㊴ その後の紫式部    小学校の低学年の時黒板に書かれた算数の問題が分からなくて何時も二,三人残されていた。 みんな問題を解いて出来た順に帰っているのにまた残されて何してんのかなと式部は良く思ったと言ってました。その頃は勉強の出来ない全くの劣等生でしたね。  それが小学生の高学年の五,六年生ではクラスの委員長だったり、とても勉強熱心な小学生に大変身していた。  何が此所までこうさせた。蝶々か鬼ヤンマか蝉か鯉のぼりか、みなを驚かせた話しは有名でした  貫之さん、式部の卒業後を御存知で無いでしょう。彼女も数奇な運命に翻弄され捻られ踏み倒された人よ。中学卒業後本道吟醸市の由利女子校に入学し卒業した人です。    ここから式部の忙しい日が続く。神奈川県三浦三崎の市役所に就職し、夜は教員免許を取るため東京神田水道橋の日大に入学した。    役所が閉まる五時に久里浜から横須賀線で大船まで行き、すぐ東海道線の快速電車〃すぐ着く象〃に乗り換え東京駅についた。  そして快速のオレンジ色の俺俺電中央線に乗りお茶の水総武本線の各駅停車の黄色い電車〃もう少しだ象〃の水道橋で下車すると目の前に日大経済学部がある。  距離は遠いようだが快速電車、特急電車に乗れば意外に早い。ノンストップ〃すぐ着く象〃なんかとても便利だった。俺俺電とかいい電なんて変わった名前は賑やかな都会に来たようで面白い。 此の曲と 選んで決めた 逞しい腕がを式部を導いていた。    「ホテルカリフォルニア」のミュージックが遂に苦しそうな歌声で車内の式部の体を痺れさせる。     〃どうこれ、光源氏紫式部のサラダ記念日よ〃  そう言う式部は幸せの絶頂、恋のハレルヤ真っ最中です。    それもそのはず、急がしい毎日が続いていたさなかのある日曜日、式部は名向崎の磯を眺めていた。  山しか知らない式部に魚種のメジナ クロダイ ウミタナゴ メバル カサゴ カレイ、カワハギ イワシ アジ サバと市役所の同僚の会話が飛び交っていたのが耳から離れない。休憩時間にもなるといつも磯釣りの話題でみんなが白熱の議論を交わし騒然としている。。  あの磯が穴場だ、いや餌が違う、何年三浦三崎に住んでいるんだ、議論が熱を帯びてくる。そんな様子はとても海と磯と魚が好きな昔から漁獲に恵まれた海辺の人という証だろう。  ナメコと竹の子しか知らない山地育ちの式部には、海辺の町の人々が好奇心に満ち毎日が活気のある地域、海岸線の風景は別の世界に来たように思えた。  今日も天気はいい。波も潮風もいい感じ。きっと磯釣りに出ているだろうあの人とも。と見渡すと、いたいた今日もあの人がいた。  私のメジナクロダイのようなもんよ。一本釣りでゲットしよう。  式部は道路を降りて岩肌に身を持たせながら恐る恐る男に近づく。近寄るにつれ波のしぶきが頭の上から降ってくる。  遠くで見た目以上に、波も荒く意外と高い。近づくと様子は一変する。岩に波が砕ける震動がドーン、ドーンと重い響きとなり足と両手から伝わってくる。 、  〃潮がぶつかるポイントを狙うんだ、潮目を狙うとメジナクロダイが釣れるだ〃  あれれー、この人ったら私がもう後ろに来ているのに知らんぷりしている。何やら忙しく一人で大声まで海に向かって出してる。  すると男はとうとう釣り糸をたぐりながらゆっくりと式部の方に振り向きながら言った。    おい其処のお嬢さん、黒潮にさらわれて漂流して、青い目の人形になってアメリカ人になりたいのか、それとも黒潮の流れに逆らって貧民国のフィリピン人のお嫁さんになりたいのか。そんなとこにポツンといたりして、ジョン万次郎がさらうまえに高波にさらわれるとは奇怪な運命を待つ人よ。  何よあんたー、よくぞ侮辱してくれたわね。あんたこそ岩の足場を滑らせてボドンと海の中や。    クロダイの夕飯のおかずになりたいのか。それに何その顔、男前の後ろ髪と思いきや、目も顔もムツゴロウそっくりなんですね。 そうとも鯥五郎守光源氏とは僕のこと。まるで、女に振られて困っている?、そんな風に見えるって、その逆なんですよ。ウンカの様に女が寄ってくる。蚊取り線香でも焚いて静寂な時を楽しみたいものだ。  何よ、その高慢ちきな態度、許しません。  旅は道ずれ、釣りは二本づり、宮本武蔵の二刀流を越えた。道元禅師の免許皆伝、心身脱落の境地今会得したり。  何をいってんだか、高慢ちきに更に傲慢ち き。  ははー、父が諫早の漁師だったんだよ。諫早湾干拓で大浦漁民、有明海漁民は海を追われたんだ。千百四十七人が佐賀地裁に提訴、十次提訴で原告は計二千二十九人にもなった。暗い話となった。  かつて湾はタイラギ漁、アサリの養殖、車エビ漁、カニやシャコと水産資源の宝庫でした。  干拓とは漁民を海から陸にぶん投げてしまう暴挙なのです。そんな中で生まれた私をムツゴロウという可愛い名前にしたのです。  まあ、そうとは知らず失礼しました。私の知らないあなたのことも色々話してくれてありがとう。  人には話せないこともたくさんあるのに初対面の人に包み隠さず境遇と心境を述べる事が出来る、そんなあなたは私にとてもいい人に見えます。  あなたは私の遠い未来、あなたの背にする夕焼けは諫早の潮の匂いがします。 そうですか、今日お会いした貴方こそ山の娘ロザリアのようです。僕はもうロシア人になります。ロシアから愛を込めて。  〃男の夢さ、一本釣りは〃  こう言いたいね。あなたは山の娘、山に登る月山の月を見て、太陽は丁岳の出羽山地に沈む。  星も、棚引く雲も雨も風もみな山の幸が源です。これからは海の風、海から上り海に沈む夕日そして月と星を見ることでしょう。  さ私達の舞台は整いました、今はその準備です。しかし楽しみは最後まで残すのがいい。大物を釣り上げるのに何の苦労もしない、それは大物と言わ無い。  大きいのがいいのではありません。要は中身と外見の美しさです。黒鯛じゃ有るまいし簡単に釣れると思ったら大間違い。心に美しさが無ければ夕日もマッチ棒の火もおなじようなものよ。ありふれたムツゴロウで終わってはなりません。  山育ちの山の娘は手厳しいね。山への憧れが海への憧れに変わりますよう、海の神にお参りしなくてはいけないようだ。  あの山もずるずると蕎麦を食べる音のように、海の中に入れと、念ずればそうなる。心地いい風は森の新緑の五月風だけじゃ無い。  潮風が若者の気持ちを熱くする。貝が見ていようが魚が出てこようが、海は太古の人類の故郷。日本人の祖先は黒潮に乗ってきた海洋民族と言われています。  あなたの古代遙かな祖先は樺太までマンモスを追ってきたのかもしれないな。そうなれば狩猟民族と言うことか。山の娘のいいところは心が螺旋状に曲がっていない、素朴な素麺か冷や麦の感触がする。  綠走れり 夏料理 とは   ここにいる私の前のロザリアのこと。まっすぐ伸びた竹のように清冽した美しさが静寂の中から伝わってくるようです。燕子花をあしらったロングスカートに麦わら帽子は眩しい。  あなたといると僕の心は折れない。何でも楽しく受け止められる。遠い昔に忘れたものに偶然巡り会えたようにもなります。 私は曾てタロスケという愛犬を不慮の事故で亡くしました。その悲しみは十三周忌をむかえる今年の十月九日も変わることがないでしょう。以下の様に光源氏は昔を思い出し書き綴った。 ㊵ タロの歌・タロの四十九日 タロの四十九日の翌朝には 冷たい雨が降り続いていた 十月の九日は忘れられない 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ タロは板に挟まり死んでしまった 命の終わったタロを抱きしめて 家族のみんなが泣いていたんだ 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ 黒い幕を下ろして眠る瞳 明るい太陽は映らない あの日からもう二度と幸せはこない 目をさませタロ 蘇れタロ 亡くなったあの夜に ワーンと家の中で鳴き声を聞いた タロは自分の役割終わったように 九年の命を閉じてしまった 子供の成長を見届けるように 動かないタロ 冷たくなったタロ 横たわったままに並んだ 白いタロの骨を好は拾った 昨日の出来事のように思い出し 遠い昔のようにも思われる 生き者の命は重くて小さい 母が死んで十七年 父も死んでもう七年 みんなの体がなくなったから 一緒にタロと好はもう遊べない 春の暖かい日が注ぎ込む ポツリとタロのおうちはベランダにある おちゃわんもお薬もみんなそろえた なにか足りないタロ 写真の中のタロ そう言ってる そう言ってる ポツリとタロのおうちはベランダにある 今年の八月の十三日には みんなが帰ってくるお盆だから タロスケもご自慢の尻尾を振って 母に抱かれてタロ 父がリードを引いて きっとそうして きっとそうなる 八月の十三日にタロは帰る 再び生まれ変わって地上にいる お空の七夕様のよい知らせ ご飯もお水も沢山あって 何の心配もない 本当によかった だから心配しないでいいよと ワーンとタロはいつもそう言っている 今度タロにあったら話してやる 苦しく寂しかったねと抱きしめて 何度もタロの毛がすり切れるほど 慰めてやる 散歩の時のように だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 今度タロにあったら話してやる あああー 久しぶりねと抱きしめて これからは絶対に離しはしない だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 本当に楽しかった思い出がいっぱい キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった みんな帰ってくるタロと一緒に来る 猫のテンコロも文鳥のブンも 好の胸へ嬉しそうに駆けつけてくる みんな帰ってくる本当によかった みんなそろって本当に楽しい 楽しいこの出会いは永遠に続く ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好のもとへ帰ってくる ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好の元へ帰ってくる 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く お帰りなさい タロ テン ブン お久しぶりね タロ テン ブン お休みなさい ンー ンー ンー   ㊶ 好おとうさんタロは帰って来たよ   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   遠い遠い   はるかな国から   帰ってきた   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   しょんぼり してては   たいせつな思い出が   ゴミになってしまう   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   その時間は   とても長くて   信じられないような   時間がかかる   山を越えて   川を渡り 空をかけて   星を巡って   帰ってきた   その時間は   五十六億七千万年    ㊷ 大きなタロが 大きなタロが 大きな空に現れた   顔の黒い鼻は沖縄迄届いて ふさふさの尾っぽは北海道の国後島迄 続いている 朝日に輝くお腹の白い毛は 私の住む関東地方上空あたりか 大きなタロが 大きな空に現れた 私が生前撮ったアルバムの写真さながら うれしそうに遊んでいる ㊲ 貫之は青春女史と出会いを果たし、     紫式部清少納言和泉式部と再会する その頃、貫之もやはり地元を離れていた。 壬生や躬恒に比べたら温和しく穏やかだった。既に、彼の実家の周りはみな敵だった。  本家親戚近所まであれこれと言いながら差別を堂々としていた。東北人の水飲み百姓に貶されてなるものか。     四面楚歌になりつつも、温和しい貫之だったが、今に見ておれ、そう言い残し家を後にした。本道吟醸地区の支援者に紹介してもらったアルバイトが束の間の収入源になった。  とある日のこと、それは偶然にやって来たのか、必然の出逢いなのか、ステージの幕は切って落とされた。ここから長い物語が始まる。  それは、バイクに乗って精肉店のアルバイトの配達をし家々を廻っていた時の事だった。  出掛ける前に、店のお上さんは良く細かく配達の道も要領も教えてくれた。  あそこの家に着くと立派なお勝手があります。玄関からは決して入らず、声もお勝手から掛けて挨拶してから配達するようにお願いします。  こう教えられてその通りに実行したときのことだった。  まああなたね、阿倍さんからお聞きしましたよ。大学を出て故郷に尽くそうとしてわざわざみんなのいやがる古い因習と柵の町に来られたんですってねえ。    阿倍さんとは壬生のアルバイト先の中国湖北省武漢出身の阿倍仲麻呂精肉店のことだった。   はい、暫くこのお仕事のお手伝いで配達に伺います。どうぞお見知りおき下さい。  まあ、学生さんのように肩ぐるしい挨拶な事。あんまりこちこちだと肩こるわよ。  まあ、人には言いがたいようなわけも出来事もあるから、そんな事承知よ、出逢いは縁よ、気を楽にしましょう。  あなたもクヨクヨせず楽しく生きましょう。たった一度の人生だから。  あなたの少し陰りのある目差しは、にしきのあきらに似ているわね。空に太陽がある限り、限りある人生でこう歌いこう叫んで、こんな長閑な昼下がりは体全体で心ゆくまで踊ってみたいわ。  あなたの頑張りもよく分かるるわよ。それぞれの与えられた道と境遇でみんな生きているのよ。  あなたちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ。すぐ準備するからお仕事の最中だからね。ほんの二,三分よ、いいこと。  それから、次の家の配達に廻っていた。来る日も来る日も配達の仕事が続いた。  単調な日々だったが、仕事が無く腐りきった魚の様な身の上に現れた一輪の花。目の前に天から降り注いで地中から生まれ出でて来たかのような花。  川を流れ海岸に着く。この地の自分がいる所に流れ着いた希望の光を感じた。仕事がある人と無い人にはこんな違いが出てくる。  周りは秋田の寒風と非人情な暴漢しかいないと思っていたが、世の中は広い。探せば人情に突き当たるものなのか。  それからしばらく配達の仕事に追われていた。ある日店主の仲麻呂さんに連れられて、海岸線にある苫屋みたいにな殺風景な作業場に行った時のこと。  そこは牛、豚、鶏の屠殺場だった。その場にはなんと最初に肉の配達をしたにしきのあきらファンの彼女がニコニコして迎えてくれた。    どう怖い、私は最初とても怖くて一年間は夢に見たのよ。牛の悲鳴、豚の逃げ回る様、鶏の目が恨めしそうに飛び出したり、食べられる運命の生き物の最後の姿を。    私は食われるためにそして人間の食事のおかずになるしかない。  食う者は食われた者の怨霊を毎夜聴くことになる。人間も人間社会に於いても然り、この法則から逃れられない。    動物たちにこう言って手を合わせるのよ。極楽天国の門は険しく辛いと。  地獄の苦しみを身に背負った生き物だけがこの門を叩き押して開き清浄な世界に入場できる資格を得るのです。    食う者と食われ者は、虐げる人と虐げられる人の関係でもあるんです。  人は一週間飲まず食わずでいたら死ぬでしょう。人の命とは何と儚く作られたのでしょうか。  一杯の水一杯のご飯と西欧の国では数詞を被らせて、一杯のコーヒー等と言う。  時には一杯が命を救う一滴にならんことを意味します。人は食なくして生きられません。まるで無用の数詞は死ぬべき者と死者に用意された一杯のコーヒーです。神を区分する衣食住には不用。  私達の目指すコミュニティーにはモデルは有りません。強いて言えば、一人一人の七人の個性が作るのです。あなたを入れて七人の侍です。  かつて、宮崎県児湯郡木城村、埼玉県入間郡毛呂山町に建設を目指した先人はおりますがその様な村ではありません。  文明が高度に発達し医療教育社会福祉インフラの充実度仕事の獲得、住みやすい県のナンバーワンは何処でしょう。  今では童話か演劇の舞台たると言えるでしでょう。あなたも一度でも考え空想したことがありますか。実現は可能です。人口七人のトトロです。  ここの私達の住む地域の中に、小さなとても小さな狭山丘陵に囲まれたトトロの森を建設します。  ああ広いこの空、私達の目的を達成する地は、蛙が飛び込む井の大きさぐらいにしかならないかもしれない。しかし大きさは絶対的ではないでしょう。大きさは人の心の持ちようで、他に変えることの出来ない物を得る入り口です。  私は大空に向かいこう祈ります。大空よあなたも私も限りなく広い。大いなる心を持ち大地を草花の綠で潤して欲しい。私の成長はあなたの成長、私の生涯はあなたの虚空そのものです。  人存在する故に神在り。これが私どもの究極の根本思想です。我々に死ぬという運命が待ち受けている、それが何でしょう。    我々は子孫に語り続けられ永遠に生きるのです。しかし残酷な者がこの世に存在します。アダムとエバの子孫だとは、ノーモア広島長崎のレベル。そして油煮えたぎる羊好色家アブラムの子孫とは、考えるのもけがわらしい。  人の人たる系統血筋は人だけに与えられた特質なんです。罪に対する報いは死である。実に窮屈な見方です。  人に原罪など存在しません。あるのは天地を敬う本来の崇拝だけです。  人を無用にして裁くものが裁かれる対象です。私達には悪人も善人もおりません。だれがどのような根拠でこう呼ぶのでしょう。肩書、地位、出自これらはみな人の重荷であり、足枷であり、頚木なのです。  この地は私達が築き上げる王国でありコロニ(colonie) と呼ぶにふさわしいでしょう。 そういう彼女は青春女史と言う人だった。彼女の主人は青春歌謡曲という音楽事務所の社長仙昌夫という人で、かつてスターを輩出させ巨万の富を得た。  しかし好いことは長続きせず脱税疑惑、政治献金と政界への進出の失敗で散財した。そして本業の音楽事務所からはスターがピタリと出なくなり倒産した。 青春女史が豪華な暮らしから目を覚した時は、自身が池袋や京都のバーやナイトクラブの酌婦になっていた。    私達は花の28組(にっぱちぐみ)会を作っているのよ。お花見をしたり料理をしたり、趣味のダンスや歌謡曲を歌ったりそれは楽しいわよ。出雲国阿国さんにも会えるわ。スポンサーもちゃんといるのよ。世阿弥さんや利休さん、そして新しいところでは歌麿さんなどよ。変わったところでは隆の里さんかしら。  ねえあなた、世間とは捨てたもんじゃ無いわよ。友達にあなたの出身地鳥海笹髙原を話したら、まあ驚いていた。  姓名は結婚し変わってしまいましたが、紫式部清少納言和泉式部、桜桃子、高橋燕子花さん方はみなあなたのこと知っていましたよ。嫁いでも再会できる日を待っていますと伝言をも預かっています。  なんと同窓生で小学校中学校九年間の竹馬の友だなん、て。いいわね。  エエッ、そんなことあるんですか。    偶然なのか誰かの導きか定かでは無いが不思議とはこのこと。貫之は驚きのあまり絶句する。こんな事が世に存在しているなんて。  燦めく中学時代と幼い小学時代に毎日顔を会わせた。もうあれから十年、十一年も経ている。奇遇と言うのにも当てはまらない。 女史さん、どうしてこうも不思議なことが起きる物でしょう。首を傾げても思いを巡らせても不可解と言いましょうか、この偶然はこの上なく幸いをもたらしてくれていますが、なにか話が余りにもよく出来すぎてやや怖いです。  おほほー、何をか狼狽えるようで可笑しいですよ。あなたはまるで夢を見ている中で私とこうしてお話していているんではないです。  世の中の不幸が貴方様に落ちかかってきたというのでも無いのです。私には足も手もあります、どうぞ手を握り確かめて下さい。  熱い息もあります。ブラウスの下には心臓と乳房もあります、どう大きいでしょ。完全生身の女ですもの。  イッチ ラブリィ(It`s lovely) これが私たちの合い言葉よ。美しくない世にあえて美しく生きる。醜い世にあえて美しく生きる。  差別と圧迫、人権蹂躙のこの地と人々にも笑顔で接する。仏を越える仏にはなれないが、私達は天女よ、世を照らす、万物と万世は私達の源、源流であれ。このように祈念しているのです。 ㊳ 桜桃子の物語  ねえ、貫之さん。私達がなぜこのような心境になりそしてあえて困難に立ち向かうこの心を知りたいでしょう。  そうそうあなたの境遇にもある意味では似ているわよ。人には言いがたいような事情と奇妙な運命があるのよ。  あなたはもう私達の仲間だからいいでしょう、プライベートの中身まで踏み込まないと理解できないでしょう。  お互いの秘密は此所ではありません。それどころか皆がお互いを理解して固い絆が出来ています。この友愛は大地が割れ裂けてもビクともしません。話してもらい分かって欲しい、隠す物何もない。世の常識とは相容れない。みなこう申しております。  あなたの中学三年生の時のクラスメイトの桜桃子さんを知っているでしょう。あの人もかわいそうな人よ。数奇な運命があったんですもの。しかし彼女の強さはこの目を覆う苦境の中でも負けずに生きたんです。  〃いいじゃないの、今がよけりゃ いいじゃないの、しあわせならば〃 佐良直美の歌が自分の人生と言ってました。皆が大笑いしたんです。余りにもあっけらかんに明るい桃子に悲しみと同情を忘れて、吹き出すやら、転げ回るやら、それは楽しい人です。  燕子花さんは、好いわね、私達のコミュニティー歌にピッタリよ、というので私達の共有の讃歌になったんです。  村に二軒しかない魚屋さんが彼女の家の家業よ。勝治さんも良く学校の帰り彼女の店に魚や乾物を買いに来ていたことを思い出すと言っていたわよ。  彼女が言うには、いつもクラスと学校でしか目を合わせたことが無い貴方が私に家の店に来てオドオドしたような目をして私に問いかけるのはなぜ?。あのクラスにいる威風堂々とした姿が、そう思ったと言っていましたよ。  そうですか、オドオドして彼女を見ていたんですね。利発で顔がまん丸で今流のチビマル子が中学生になったようで可愛かったんです。    はいはいご馳走様、今の話しをお伝えしますよ、桃子のうれしそうな笑顔今すぐご覧あれ。幸せよ、今この時はあの過去の出来事をまるで生き物のように再びの出逢いを作る。理由も不可思議も無い、いい世の中の風が私達に吹いているのです。  此所までこのように心を入れ変え辿り着くくには長い道のりがあるんです。中学卒業後はお互いですが、同級生のみなのその後のことを知らないでしょう。最初は私の尊敬する桃子さんからお話をしていきましょう。    桃子は三人兄弟姉妹でした。高校卒業後家業の魚屋をひとつ上の姉と一つ下の弟とそして両親の五人で繁盛するお店の手伝いに追われていたのよ。  この時代のころともなれば、村人の現金収入も徐々に増え始め、お盆と正月だけで無く日常的に魚を買い食べれるようになっていました。  仁賀保、金浦,本荘港、秋田港、入道崎に至るまで競って問屋が桃子の〃さくらかつお商店〃へ魚を卸しに自動車で押し寄せて来たんです。その賑わいは喩えようも無い、押すな押すなの行列が桃子の店はひとだかりです。村人は新鮮で安く旨い魚の味をこの桃子の店で買った魚から知ったんです。  何ですか、お父さんは将来のためだなんて、そんな貯金までして。消費税や付加価値税の先取りはだめよ。お客様から余計なお金を頂いたら罰あたります。消費税の時代はまだまだ先です。  古新聞雑誌は板金に等しいんだ。魚を包む紙が無いんだ、包装紙がこれほど大事なのか、身をもって知る。木箱なんかはもう高級魚の贈答用にしか使えない。高価で手に入らない。  お前の中学高校のノートが沢山あるなあー、少し小さいが魚を包むのに使うから、いいか。   ダメー、絶対。  とは言え鰰一箱二百五十円、木箱百円、これでは魚が高いか木箱が高いか、魚を買って貰うのか木箱を販売しているのか分からなくなった。これに悩む桃子がいた。魚は飛ぶように売れこれにつられて雑貨類も売れる。  商売は順調で冷蔵庫も二台、三台と増やし最新鋭のショーケース冷蔵庫まで揃えた。  これを見たお客は硝子の箱の中で魚がコチコチになって泳いでいる、都会でも数少ない小型水族館だそうだ。噂は広まり何処に落ち着くか誰にも分からない。    朝八時に開店し昼の十二時には完売、こういう日が続く。魚屋には大体毎日同じ物が並んでいた。秋刀魚、烏賊、ロウソクホッケ、鰯、鱈など季節の物も多数有る。よく見かけたのが塩辛だ。辛とは塩味の事だった。  昆布、塩、醤油、味噌、納豆と様々あり缶詰類もあった。店の品揃えの多さは店の繁盛ぶりを良く表していた。店に活気があると町にも活気が流れてくる。村人の顔も大まかな話しぶりといい、歩き方も豪快に見えてくる。  桃子の店も町と呼ばれる他の店が何軒か並んでいる内の一つだったが道路を挟んでややはす向かい方向には村の支所もあったから中心だったろう。    桃子の店から百メートル少し離れてもう一軒の魚屋があり、その間に二軒の本屋兼文房具店、そして二軒の旅館がありその一つが黛淑子の生家である。  わずか四百メートルの距離を挟み道路の上方向、下方向に百五十メートルぐらい離れ郵便局と村の役場の支所があり、その頃はまだ珍しいい小さな電気店もあった。  電気製品と言ってもラジオを見たという記憶しか無い。また自転車店もあった。ブリヂストンという大きな立て看板が店を飾っていた。  この四百メートルそこそこの場所に農家の家並みに囲まれた約六百世帯の人々が買い物をする商店があった。  高度成長期に後押しされた景気が加熱し、最後の坂を登り終わるまで相当の時間があった。しかし人口だけが減少していくという曾て経験したことのない事態が進行していた。いいことはいつまでも続かない、悪い出来事もそうだが。  村人の収入が増えるにつれ子どもの出生率が激減した。曾て四クラスもあったのが小中学校のスタイルだった。  やがて時が移り変わり人々の意識も世の中の仕組みも変わっていく中で、じわじわ三クラスになり、二クラスとなり学級の松組、竹組、梅組という呼び名が消えた。あっという間に滑るように学校に行く子供がいなくなった。村の人口が急激に減少していく原因を作る。  加えて車を持つ農家が増え近隣の矢島、さらに本荘迄行き魚も衣服も買ってくるように生活スタイルが徐々に変化してくる。  これに対して村の町にある桃子の店ともう一軒の長介魚店は店に来る客を待たず車で店を出て朝早く売りに行商を始めた。  〃さくらかつお商店〃  と大声で村の道をエンジンで駆け廻る。だが昔の売れ行き繁盛は何処に消えた。車には氷に包まれた魚がざくざく出てくる。積んだ魚はいっこうに減らない。買う人の影が道にない。  まさか留守なのかこんな早い朝に何処へ出かけるのか。つい最近まで魚を積んだライトバンに人だかりとなって来ていたのにどうしたことか。  魚は木箱の中で恨めしそうに目を開く。氷はどんどん解ける。車からはその溶け出した水がドカドカ落ち始めてくる。  桃子の家は家族会議で店を縮小する決断に迫られた。この魚屋は桃子の父が二十代の青年の頃珍しくバイクに載せ売った事もある輝かしい歴史を持っている。もう二十年も前のことだが。  矢島、本荘の魚より高いのは当たりまでだ。此所まで持ってくるのに輸送コスト、車代ガソリン代、人件費は当然多くかかる。  農協も地元の信用金庫も欲しいだけ金は貸してくれると言っている。  農協の横の車が通る道路の前に空き地がある。笹村野宅の丁方向と松の木峠に向かう湯沢の方向に行くY字に自動車道路が交差するところがいい。  そうすれば両方向に行きまた二方向から帰るお客にも目に付きやすい。利便性を考えても此所しかないだろう。こう家族に提案したのは父だった。  ドライブインMAXという飲食店を建てようという計画だった。父の計画に家族も親戚も異論を述べられなかった。なんと言っても父がバイク、リヤカ、ー自転車で苦労して商売を始めた創業者だからである。 ドライブインの建設は急ピッチに進められた。店の前面は広い駐車場とし奥に急勾配の大きな屋根を赤く塗装し、誰からも一目でドライブインとはっきり分かるようにした。  町の中心と変わらない交通道路の要所であり好立地故敷地の価格も坪あたり笹村でも最高額だった。桃子の家族はドライブインのオープンの向かって舵は切った。  この町に飲食店は一軒も無い。店に入り食事をする習慣がそのものがない。魚は売ってきたもののお客に食事を作って出すサービス、接待業は初めてだ。  桃子は新しい店のドライブインを持つことに浮き浮きもしたが、店の売り上げの減少をまた車で売りに行っても買ってくれる人が少なくなった分を埋め合わせできるものだろうかと不安もあった。  そんな期待と不安の中いよいよ店の建物は完成にまでこぎ着け開店には相当の準備期間を要したが着々と進んでいった。大きな冷蔵庫も三台用意し、メニューを考え客単価を練った。  材料費、人件費、水道光熱費、借入金返済、利息の支払い、これらを計算すると一日一ヶ月一年の又一年の売り上げ目標が定まった。  華々しく遂にオープンを迎えた。しかしなぜか客足が集まらなかった。予測した売り上げが半分にしかならない。オープン直後からドライブインの経営は頓挫の憂き目に遭う。 一ヶ月間続けた。無理かもしれない。みな黙り込み心の中でそう言っている。結局客は来ず食事を作ることも疎らで店は閑散としていた。  まるで閉店日が開業日と背中合わせの状況だった。重苦しい雰囲気の中口を開いた桃子の父はこう言った。  本業の魚も売れなくなった。ドライブインもこのまま続けたら借金だけが増えるだろう。ドライブインの建設ため相当金をつぎ込んだが、売れないと建物も調理器具や備品の数々が粗大ゴミに見えてくる。メモを夜に書いておく。朝みんなが読んだら必ず焼いて捨てておけ。  〃よこはまのしりあいをたよれ〃  これを見た家族は父がいないことに翌朝に気付く。  青春女史は大きく息をして長い話しを噛みしめるように終えた。話しは長い様だけどこれは人生の一瞬の出来事です。桃子の人生はここで終わりではないんです。  通り過ぎた不幸を世に知らしめ逆境の人を救う、これが桃子に与えられた天命です。お話しを分かりましたか、貫之さん。  そうだったんですか、夜逃げ同然で住み慣れた地を去らなければならなかったとは、何とも気の毒なことです。あの輝く笑顔にその様な哀しい出来事が起きたとは信じがたいです。  さほど大きな不幸に会うこと無く生きていける人もあれば、思わぬ不幸に見舞われる方もある。人の禍福は最後の一息を吸い終えるまで分からない。  その桃子さんはこの町の近くにいるんですね。再会をしたその時は何という言葉で始めればいいのか。 はい、この町には桃子さんをはじめ仲間の友がおります。小学生、中学生とあなたのパートナーでした、と言ってましたよ。今は清少納言と言う人です。  お二人で色々楽しい思い出を持っているようですね。貫之さんのことよく言ってましたよ。  ㊴ その後の紫式部    小学校の低学年の時黒板に書かれた算数の問題が分からなくて何時も二,三人残されていた。 みんな問題を解いて出来た順に帰っているのにまた残されて何してんのかなと式部は良く思ったと言ってました。その頃は勉強の出来ない全くの劣等生でしたね。  それが小学生の高学年の五,六年生ではクラスの委員長だったり、とても勉強熱心な小学生に大変身していた。  何が此所までこうさせた。蝶々か鬼ヤンマか蝉か鯉のぼりか、みなを驚かせた話しは有名でした  貫之さん、式部の卒業後を御存知で無いでしょう。彼女も数奇な運命に翻弄され捻られ踏み倒された人よ。中学卒業後本道吟醸市の由利女子校に入学し卒業した人です。    ここから式部の忙しい日が続く。神奈川県三浦三崎の市役所に就職し、夜は教員免許を取るため東京神田水道橋の日大に入学した。    役所が閉まる五時に久里浜から横須賀線で大船まで行き、すぐ東海道線の快速電車〃すぐ着く象〃に乗り換え東京駅についた。  そして快速のオレンジ色の俺俺電中央線に乗りお茶の水総武本線の各駅停車の黄色い電車〃もう少しだ象〃の水道橋で下車すると目の前に日大経済学部がある。  距離は遠いようだが快速電車、特急電車に乗れば意外に早い。ノンストップ〃すぐ着く象〃なんかとても便利だった。俺俺電とかいい電なんて変わった名前は賑やかな都会に来たようで面白い。 此の曲と 選んで決めた 逞しい腕がを式部を導いていた。    「ホテルカリフォルニア」のミュージックが遂に苦しそうな歌声で車内の式部の体を痺れさせる。     〃どうこれ、光源氏紫式部のサラダ記念日よ〃  そう言う式部は幸せの絶頂、恋のハレルヤ真っ最中です。    それもそのはず、急がしい毎日が続いていたさなかのある日曜日、式部は名向崎の磯を眺めていた。  山しか知らない式部に魚種のメジナ クロダイ ウミタナゴ メバル カサゴ カレイ、カワハギ イワシ アジ サバと市役所の同僚の会話が飛び交っていたのが耳から離れない。休憩時間にもなるといつも磯釣りの話題でみんなが白熱の議論を交わし騒然としている。。  あの磯が穴場だ、いや餌が違う、何年三浦三崎に住んでいるんだ、議論が熱を帯びてくる。そんな様子はとても海と磯と魚が好きな昔から漁獲に恵まれた海辺の人という証だろう。  ナメコと竹の子しか知らない山地育ちの式部には、海辺の町の人々が好奇心に満ち毎日が活気のある地域、海岸線の風景は別の世界に来たように思えた。  今日も天気はいい。波も潮風もいい感じ。きっと磯釣りに出ているだろうあの人とも。と見渡すと、いたいた今日もあの人がいた。  私のメジナクロダイのようなもんよ。一本釣りでゲットしよう。  式部は道路を降りて岩肌に身を持たせながら恐る恐る男に近づく。近寄るにつれ波のしぶきが頭の上から降ってくる。  遠くで見た目以上に、波も荒く意外と高い。近づくと様子は一変する。岩に波が砕ける震動がドーン、ドーンと重い響きとなり足と両手から伝わってくる。 、  〃潮がぶつかるポイントを狙うんだ、潮目を狙うとメジナクロダイが釣れるだ〃  あれれー、この人ったら私がもう後ろに来ているのに知らんぷりしている。何やら忙しく一人で大声まで海に向かって出してる。  すると男はとうとう釣り糸をたぐりながらゆっくりと式部の方に振り向きながら言った。    おい其処のお嬢さん、黒潮にさらわれて漂流して、青い目の人形になってアメリカ人になりたいのか、それとも黒潮の流れに逆らって貧民国のフィリピン人のお嫁さんになりたいのか。そんなとこにポツンといたりして、ジョン万次郎がさらうまえに高波にさらわれるとは奇怪な運命を待つ人よ。  何よあんたー、よくぞ侮辱してくれたわね。あんたこそ岩の足場を滑らせてボドンと海の中や。    クロダイの夕飯のおかずになりたいのか。それに何その顔、男前の後ろ髪と思いきや、目も顔もムツゴロウそっくりなんですね。 そうとも鯥五郎守光源氏とは僕のこと。まるで、女に振られて困っている?、そんな風に見えるって、その逆なんですよ。ウンカの様に女が寄ってくる。蚊取り線香でも焚いて静寂な時を楽しみたいものだ。  何よ、その高慢ちきな態度、許しません。  旅は道ずれ、釣りは二本づり、宮本武蔵の二刀流を越えた。道元禅師の免許皆伝、心身脱落の境地今会得したり。  何をいってんだか、高慢ちきに更に傲慢ち き。  ははー、父が諫早の漁師だったんだよ。諫早湾干拓で大浦漁民、有明海漁民は海を追われたんだ。千百四十七人が佐賀地裁に提訴、十次提訴で原告は計二千二十九人にもなった。暗い話となった。  かつて湾はタイラギ漁、アサリの養殖、車エビ漁、カニやシャコと水産資源の宝庫でした。  干拓とは漁民を海から陸にぶん投げてしまう暴挙なのです。そんな中で生まれた私をムツゴロウという可愛い名前にしたのです。  まあ、そうとは知らず失礼しました。私の知らないあなたのことも色々話してくれてありがとう。  人には話せないこともたくさんあるのに初対面の人に包み隠さず境遇と心境を述べる事が出来る、そんなあなたは私にとてもいい人に見えます。  あなたは私の遠い未来、あなたの背にする夕焼けは諫早の潮の匂いがします。 そうですか、今日お会いした貴方こそ山の娘ロザリアのようです。僕はもうロシア人になります。ロシアから愛を込めて。  〃男の夢さ、一本釣りは〃  こう言いたいね。あなたは山の娘、山に登る月山の月を見て、太陽は丁岳の出羽山地に沈む。  星も、棚引く雲も雨も風もみな山の幸が源です。これからは海の風、海から上り海に沈む夕日そして月と星を見ることでしょう。  さ私達の舞台は整いました、今はその準備です。しかし楽しみは最後まで残すのがいい。大物を釣り上げるのに何の苦労もしない、それは大物と言わ無い。  大きいのがいいのではありません。要は中身と外見の美しさです。黒鯛じゃ有るまいし簡単に釣れると思ったら大間違い。心に美しさが無ければ夕日もマッチ棒の火もおなじようなものよ。ありふれたムツゴロウで終わってはなりません。  山育ちの山の娘は手厳しいね。山への憧れが海への憧れに変わりますよう、海の神にお参りしなくてはいけないようだ。  あの山もずるずると蕎麦を食べる音のように、海の中に入れと、念ずればそうなる。心地いい風は森の新緑の五月風だけじゃ無い。  潮風が若者の気持ちを熱くする。貝が見ていようが魚が出てこようが、海は太古の人類の故郷。日本人の祖先は黒潮に乗ってきた海洋民族と言われています。  あなたの古代遙かな祖先は樺太までマンモスを追ってきたのかもしれないな。そうなれば狩猟民族と言うことか。山の娘のいいところは心が螺旋状に曲がっていない、素朴な素麺か冷や麦の感触がする。  綠走れり 夏料理 とは   ここにいる私の前のロザリアのこと。まっすぐ伸びた竹のように清冽した美しさが静寂の中から伝わってくるようです。燕子花をあしらったロングスカートに麦わら帽子は眩しい。  あなたといると僕の心は折れない。何でも楽しく受け止められる。遠い昔に忘れたものに偶然巡り会えたようにもなります。 私は曾てタロスケという愛犬を不慮の事故で亡くしました。その悲しみは十三周忌をむかえる今年の十月九日も変わることがないでしょう。以下の様に光源氏は昔を思い出し書き綴った。 ㊵ タロの歌・タロの四十九日 タロの四十九日の翌朝には 冷たい雨が降り続いていた 十月の九日は忘れられない 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ タロは板に挟まり死んでしまった 命の終わったタロを抱きしめて 家族のみんなが泣いていたんだ 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ 黒い幕を下ろして眠る瞳 明るい太陽は映らない あの日からもう二度と幸せはこない 目をさませタロ 蘇れタロ 亡くなったあの夜に ワーンと家の中で鳴き声を聞いた タロは自分の役割終わったように 九年の命を閉じてしまった 子供の成長を見届けるように 動かないタロ 冷たくなったタロ 横たわったままに並んだ 白いタロの骨を好は拾った 昨日の出来事のように思い出し 遠い昔のようにも思われる 生き者の命は重くて小さい 母が死んで十七年 父も死んでもう七年 みんなの体がなくなったから 一緒にタロと好はもう遊べない 春の暖かい日が注ぎ込む ポツリとタロのおうちはベランダにある おちゃわんもお薬もみんなそろえた なにか足りないタロ 写真の中のタロ そう言ってる そう言ってる ポツリとタロのおうちはベランダにある 今年の八月の十三日には みんなが帰ってくるお盆だから タロスケもご自慢の尻尾を振って 母に抱かれてタロ 父がリードを引いて きっとそうして きっとそうなる 八月の十三日にタロは帰る 再び生まれ変わって地上にいる お空の七夕様のよい知らせ ご飯もお水も沢山あって 何の心配もない 本当によかった だから心配しないでいいよと ワーンとタロはいつもそう言っている 今度タロにあったら話してやる 苦しく寂しかったねと抱きしめて 何度もタロの毛がすり切れるほど 慰めてやる 散歩の時のように だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 今度タロにあったら話してやる あああー 久しぶりねと抱きしめて これからは絶対に離しはしない だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 本当に楽しかった思い出がいっぱい キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった みんな帰ってくるタロと一緒に来る 猫のテンコロも文鳥のブンも 好の胸へ嬉しそうに駆けつけてくる みんな帰ってくる本当によかった みんなそろって本当に楽しい 楽しいこの出会いは永遠に続く ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好のもとへ帰ってくる ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好の元へ帰ってくる 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く お帰りなさい タロ テン ブン お久しぶりね タロ テン ブン お休みなさい ンー ンー ンー   ㊶ 好おとうさんタロは帰って来たよ   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   遠い遠い   はるかな国から   帰ってきた   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   しょんぼり してては   たいせつな思い出が   ゴミになってしまう   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   その時間は   とても長くて   信じられないような   時間がかかる   山を越えて   川を渡り 空をかけて   星を巡って   帰ってきた   その時間は   五十六億七千万年    ㊷ 大きなタロが 大きなタロが 大きな空に現れた   顔の黒い鼻は沖縄迄届いて ふさふさの尾っぽは北海道の国後島迄 続いている 朝日に輝くお腹の白い毛は 私の住む関東地方上空あたりか 大きなタロが 大きな空に現れた 私が生前撮ったアルバムの写真さながら うれしそうに遊んでいる 大きな空から 大きなタロが 切れ長の目で私を見つめている かつてお手をした柔らかいタロの手が 私の目の前に降りてきて今にも触れそう   だ 大きなタロは 夢か幻か奇跡か はた天国の風景なのか 大きなタロは 大きな空で うれしそうに遊んでいる アルバムの写真さながら (以上) 大きな空から 大きなタロが 切れ長の目で私を見つめている かつてお手をした柔らかいタロの手が 私の目の前に降りてきて今にも触れそう   だ 大きなタロは 夢か幻か奇跡か はた天国の風景なのか 大きなタロは 大きな空で うれしそうに遊んでいる アルバムの写真さながら (以上)㊲ 貫之は青春女史と出会いを果たし、     紫式部清少納言和泉式部と再会する その頃、貫之もやはり地元を離れていた。 壬生や躬恒に比べたら温和しく穏やかだった。既に、彼の実家の周りはみな敵だった。  本家親戚近所まであれこれと言いながら差別を堂々としていた。東北人の水飲み百姓に貶されてなるものか。     四面楚歌になりつつも、温和しい貫之だったが、今に見ておれ、そう言い残し家を後にした。本道吟醸地区の支援者に紹介してもらったアルバイトが束の間の収入源になった。  とある日のこと、それは偶然にやって来たのか、必然の出逢いなのか、ステージの幕は切って落とされた。ここから長い物語が始まる。  それは、バイクに乗って精肉店のアルバイトの配達をし家々を廻っていた時の事だった。  出掛ける前に、店のお上さんは良く細かく配達の道も要領も教えてくれた。  あそこの家に着くと立派なお勝手があります。玄関からは決して入らず、声もお勝手から掛けて挨拶してから配達するようにお願いします。  こう教えられてその通りに実行したときのことだった。  まああなたね、阿倍さんからお聞きしましたよ。大学を出て故郷に尽くそうとしてわざわざみんなのいやがる古い因習と柵の町に来られたんですってねえ。    阿倍さんとは壬生のアルバイト先の中国湖北省武漢出身の阿倍仲麻呂精肉店のことだった。   はい、暫くこのお仕事のお手伝いで配達に伺います。どうぞお見知りおき下さい。  まあ、学生さんのように肩ぐるしい挨拶な事。あんまりこちこちだと肩こるわよ。  まあ、人には言いがたいようなわけも出来事もあるから、そんな事承知よ、出逢いは縁よ、気を楽にしましょう。  あなたもクヨクヨせず楽しく生きましょう。たった一度の人生だから。  あなたの少し陰りのある目差しは、にしきのあきらに似ているわね。空に太陽がある限り、限りある人生でこう歌いこう叫んで、こんな長閑な昼下がりは体全体で心ゆくまで踊ってみたいわ。  あなたの頑張りもよく分かるるわよ。それぞれの与えられた道と境遇でみんな生きているのよ。  あなたちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ。すぐ準備するからお仕事の最中だからね。ほんの二,三分よ、いいこと。  それから、次の家の配達に廻っていた。来る日も来る日も配達の仕事が続いた。  単調な日々だったが、仕事が無く腐りきった魚の様な身の上に現れた一輪の花。目の前に天から降り注いで地中から生まれ出でて来たかのような花。  川を流れ海岸に着く。この地の自分がいる所に流れ着いた希望の光を感じた。仕事がある人と無い人にはこんな違いが出てくる。  周りは秋田の寒風と非人情な暴漢しかいないと思っていたが、世の中は広い。探せば人情に突き当たるものなのか。  それからしばらく配達の仕事に追われていた。ある日店主の仲麻呂さんに連れられて、海岸線にある苫屋みたいにな殺風景な作業場に行った時のこと。  そこは牛、豚、鶏の屠殺場だった。その場にはなんと最初に肉の配達をしたにしきのあきらファンの彼女がニコニコして迎えてくれた。    どう怖い、私は最初とても怖くて一年間は夢に見たのよ。牛の悲鳴、豚の逃げ回る様、鶏の目が恨めしそうに飛び出したり、食べられる運命の生き物の最後の姿を。    私は食われるためにそして人間の食事のおかずになるしかない。  食う者は食われた者の怨霊を毎夜聴くことになる。人間も人間社会に於いても然り、この法則から逃れられない。    動物たちにこう言って手を合わせるのよ。極楽天国の門は険しく辛いと。  地獄の苦しみを身に背負った生き物だけがこの門を叩き押して開き清浄な世界に入場できる資格を得るのです。    食う者と食われ者は、虐げる人と虐げられる人の関係でもあるんです。  人は一週間飲まず食わずでいたら死ぬでしょう。人の命とは何と儚く作られたのでしょうか。  一杯の水一杯のご飯と西欧の国では数詞を被らせて、一杯のコーヒー等と言う。  時には一杯が命を救う一滴にならんことを意味します。人は食なくして生きられません。まるで無用の数詞は死ぬべき者と死者に用意された一杯のコーヒーです。神を区分する衣食住には不用。  私達の目指すコミュニティーにはモデルは有りません。強いて言えば、一人一人の七人の個性が作るのです。あなたを入れて七人の侍です。  かつて、宮崎県児湯郡木城村、埼玉県入間郡毛呂山町に建設を目指した先人はおりますがその様な村ではありません。  文明が高度に発達し医療教育社会福祉インフラの充実度仕事の獲得、住みやすい県のナンバーワンは何処でしょう。  今では童話か演劇の舞台たると言えるでしでょう。あなたも一度でも考え空想したことがありますか。実現は可能です。人口七人のトトロです。  ここの私達の住む地域の中に、小さなとても小さな狭山丘陵に囲まれたトトロの森を建設します。  ああ広いこの空、私達の目的を達成する地は、蛙が飛び込む井の大きさぐらいにしかならないかもしれない。しかし大きさは絶対的ではないでしょう。大きさは人の心の持ちようで、他に変えることの出来ない物を得る入り口です。  私は大空に向かいこう祈ります。大空よあなたも私も限りなく広い。大いなる心を持ち大地を草花の綠で潤して欲しい。私の成長はあなたの成長、私の生涯はあなたの虚空そのものです。  人存在する故に神在り。これが私どもの究極の根本思想です。我々に死ぬという運命が待ち受けている、それが何でしょう。    我々は子孫に語り続けられ永遠に生きるのです。しかし残酷な者がこの世に存在します。アダムとエバの子孫だとは、ノーモア広島長崎のレベル。そして油煮えたぎる羊好色家アブラムの子孫とは、考えるのもけがわらしい。  人の人たる系統血筋は人だけに与えられた特質なんです。罪に対する報いは死である。実に窮屈な見方です。  人に原罪など存在しません。あるのは天地を敬う本来の崇拝だけです。  人を無用にして裁くものが裁かれる対象です。私達には悪人も善人もおりません。だれがどのような根拠でこう呼ぶのでしょう。肩書、地位、出自これらはみな人の重荷であり、足枷であり、頚木なのです。  この地は私達が築き上げる王国でありコロニ(colonie) と呼ぶにふさわしいでしょう。 そういう彼女は青春女史と言う人だった。彼女の主人は青春歌謡曲という音楽事務所の社長仙昌夫という人で、かつてスターを輩出させ巨万の富を得た。  しかし好いことは長続きせず脱税疑惑、政治献金と政界への進出の失敗で散財した。そして本業の音楽事務所からはスターがピタリと出なくなり倒産した。 青春女史が豪華な暮らしから目を覚した時は、自身が池袋や京都のバーやナイトクラブの酌婦になっていた。    私達は花の28組(にっぱちぐみ)会を作っているのよ。お花見をしたり料理をしたり、趣味のダンスや歌謡曲を歌ったりそれは楽しいわよ。出雲国阿国さんにも会えるわ。スポンサーもちゃんといるのよ。世阿弥さんや利休さん、そして新しいところでは歌麿さんなどよ。変わったところでは隆の里さんかしら。  ねえあなた、世間とは捨てたもんじゃ無いわよ。友達にあなたの出身地鳥海笹髙原を話したら、まあ驚いていた。  姓名は結婚し変わってしまいましたが、紫式部清少納言和泉式部、桜桃子、高橋燕子花さん方はみなあなたのこと知っていましたよ。嫁いでも再会できる日を待っていますと伝言をも預かっています。  なんと同窓生で小学校中学校九年間の竹馬の友だなん、て。いいわね。  エエッ、そんなことあるんですか。    偶然なのか誰かの導きか定かでは無いが不思議とはこのこと。貫之は驚きのあまり絶句する。こんな事が世に存在しているなんて。  燦めく中学時代と幼い小学時代に毎日顔を会わせた。もうあれから十年、十一年も経ている。奇遇と言うのにも当てはまらない。 女史さん、どうしてこうも不思議なことが起きる物でしょう。首を傾げても思いを巡らせても不可解と言いましょうか、この偶然はこの上なく幸いをもたらしてくれていますが、なにか話が余りにもよく出来すぎてやや怖いです。  おほほー、何をか狼狽えるようで可笑しいですよ。あなたはまるで夢を見ている中で私とこうしてお話していているんではないです。  世の中の不幸が貴方様に落ちかかってきたというのでも無いのです。私には足も手もあります、どうぞ手を握り確かめて下さい。  熱い息もあります。ブラウスの下には心臓と乳房もあります、どう大きいでしょ。完全生身の女ですもの。  イッチ ラブリィ(It`s lovely) これが私たちの合い言葉よ。美しくない世にあえて美しく生きる。醜い世にあえて美しく生きる。  差別と圧迫、人権蹂躙のこの地と人々にも笑顔で接する。仏を越える仏にはなれないが、私達は天女よ、世を照らす、万物と万世は私達の源、源流であれ。このように祈念しているのです。 ㊳ 桜桃子の物語  ねえ、貫之さん。私達がなぜこのような心境になりそしてあえて困難に立ち向かうこの心を知りたいでしょう。  そうそうあなたの境遇にもある意味では似ているわよ。人には言いがたいような事情と奇妙な運命があるのよ。  あなたはもう私達の仲間だからいいでしょう、プライベートの中身まで踏み込まないと理解できないでしょう。  お互いの秘密は此所ではありません。それどころか皆がお互いを理解して固い絆が出来ています。この友愛は大地が割れ裂けてもビクともしません。話してもらい分かって欲しい、隠す物何もない。世の常識とは相容れない。みなこう申しております。  あなたの中学三年生の時のクラスメイトの桜桃子さんを知っているでしょう。あの人もかわいそうな人よ。数奇な運命があったんですもの。しかし彼女の強さはこの目を覆う苦境の中でも負けずに生きたんです。  〃いいじゃないの、今がよけりゃ いいじゃないの、しあわせならば〃 佐良直美の歌が自分の人生と言ってました。皆が大笑いしたんです。余りにもあっけらかんに明るい桃子に悲しみと同情を忘れて、吹き出すやら、転げ回るやら、それは楽しい人です。  燕子花さんは、好いわね、私達のコミュニティー歌にピッタリよ、というので私達の共有の讃歌になったんです。  村に二軒しかない魚屋さんが彼女の家の家業よ。勝治さんも良く学校の帰り彼女の店に魚や乾物を買いに来ていたことを思い出すと言っていたわよ。  彼女が言うには、いつもクラスと学校でしか目を合わせたことが無い貴方が私に家の店に来てオドオドしたような目をして私に問いかけるのはなぜ?。あのクラスにいる威風堂々とした姿が、そう思ったと言っていましたよ。  そうですか、オドオドして彼女を見ていたんですね。利発で顔がまん丸で今流のチビマル子が中学生になったようで可愛かったんです。    はいはいご馳走様、今の話しをお伝えしますよ、桃子のうれしそうな笑顔今すぐご覧あれ。幸せよ、今この時はあの過去の出来事をまるで生き物のように再びの出逢いを作る。理由も不可思議も無い、いい世の中の風が私達に吹いているのです。  此所までこのように心を入れ変え辿り着くくには長い道のりがあるんです。中学卒業後はお互いですが、同級生のみなのその後のことを知らないでしょう。最初は私の尊敬する桃子さんからお話をしていきましょう。    桃子は三人兄弟姉妹でした。高校卒業後家業の魚屋をひとつ上の姉と一つ下の弟とそして両親の五人で繁盛するお店の手伝いに追われていたのよ。  この時代のころともなれば、村人の現金収入も徐々に増え始め、お盆と正月だけで無く日常的に魚を買い食べれるようになっていました。  仁賀保、金浦,本荘港、秋田港、入道崎に至るまで競って問屋が桃子の〃さくらかつお商店〃へ魚を卸しに自動車で押し寄せて来たんです。その賑わいは喩えようも無い、押すな押すなの行列が桃子の店はひとだかりです。村人は新鮮で安く旨い魚の味をこの桃子の店で買った魚から知ったんです。  何ですか、お父さんは将来のためだなんて、そんな貯金までして。消費税や付加価値税の先取りはだめよ。お客様から余計なお金を頂いたら罰あたります。消費税の時代はまだまだ先です。  古新聞雑誌は板金に等しいんだ。魚を包む紙が無いんだ、包装紙がこれほど大事なのか、身をもって知る。木箱なんかはもう高級魚の贈答用にしか使えない。高価で手に入らない。  お前の中学高校のノートが沢山あるなあー、少し小さいが魚を包むのに使うから、いいか。   ダメー、絶対。  とは言え鰰一箱二百五十円、木箱百円、これでは魚が高いか木箱が高いか、魚を買って貰うのか木箱を販売しているのか分からなくなった。これに悩む桃子がいた。魚は飛ぶように売れこれにつられて雑貨類も売れる。  商売は順調で冷蔵庫も二台、三台と増やし最新鋭のショーケース冷蔵庫まで揃えた。  これを見たお客は硝子の箱の中で魚がコチコチになって泳いでいる、都会でも数少ない小型水族館だそうだ。噂は広まり何処に落ち着くか誰にも分からない。    朝八時に開店し昼の十二時には完売、こういう日が続く。魚屋には大体毎日同じ物が並んでいた。秋刀魚、烏賊、ロウソクホッケ、鰯、鱈など季節の物も多数有る。よく見かけたのが塩辛だ。辛とは塩味の事だった。  昆布、塩、醤油、味噌、納豆と様々あり缶詰類もあった。店の品揃えの多さは店の繁盛ぶりを良く表していた。店に活気があると町にも活気が流れてくる。村人の顔も大まかな話しぶりといい、歩き方も豪快に見えてくる。  桃子の店も町と呼ばれる他の店が何軒か並んでいる内の一つだったが道路を挟んでややはす向かい方向には村の支所もあったから中心だったろう。    桃子の店から百メートル少し離れてもう一軒の魚屋があり、その間に二軒の本屋兼文房具店、そして二軒の旅館がありその一つが黛淑子の生家である。  わずか四百メートルの距離を挟み道路の上方向、下方向に百五十メートルぐらい離れ郵便局と村の役場の支所があり、その頃はまだ珍しいい小さな電気店もあった。  電気製品と言ってもラジオを見たという記憶しか無い。また自転車店もあった。ブリヂストンという大きな立て看板が店を飾っていた。  この四百メートルそこそこの場所に農家の家並みに囲まれた約六百世帯の人々が買い物をする商店があった。  高度成長期に後押しされた景気が加熱し、最後の坂を登り終わるまで相当の時間があった。しかし人口だけが減少していくという曾て経験したことのない事態が進行していた。いいことはいつまでも続かない、悪い出来事もそうだが。  村人の収入が増えるにつれ子どもの出生率が激減した。曾て四クラスもあったのが小中学校のスタイルだった。  やがて時が移り変わり人々の意識も世の中の仕組みも変わっていく中で、じわじわ三クラスになり、二クラスとなり学級の松組、竹組、梅組という呼び名が消えた。あっという間に滑るように学校に行く子供がいなくなった。村の人口が急激に減少していく原因を作る。  加えて車を持つ農家が増え近隣の矢島、さらに本荘迄行き魚も衣服も買ってくるように生活スタイルが徐々に変化してくる。  これに対して村の町にある桃子の店ともう一軒の長介魚店は店に来る客を待たず車で店を出て朝早く売りに行商を始めた。  〃さくらかつお商店〃  と大声で村の道をエンジンで駆け廻る。だが昔の売れ行き繁盛は何処に消えた。車には氷に包まれた魚がざくざく出てくる。積んだ魚はいっこうに減らない。買う人の影が道にない。  まさか留守なのかこんな早い朝に何処へ出かけるのか。つい最近まで魚を積んだライトバンに人だかりとなって来ていたのにどうしたことか。  魚は木箱の中で恨めしそうに目を開く。氷はどんどん解ける。車からはその溶け出した水がドカドカ落ち始めてくる。  桃子の家は家族会議で店を縮小する決断に迫られた。この魚屋は桃子の父が二十代の青年の頃珍しくバイクに載せ売った事もある輝かしい歴史を持っている。もう二十年も前のことだが。  矢島、本荘の魚より高いのは当たりまでだ。此所まで持ってくるのに輸送コスト、車代ガソリン代、人件費は当然多くかかる。  農協も地元の信用金庫も欲しいだけ金は貸してくれると言っている。  農協の横の車が通る道路の前に空き地がある。笹村野宅の丁方向と松の木峠に向かう湯沢の方向に行くY字に自動車道路が交差するところがいい。  そうすれば両方向に行きまた二方向から帰るお客にも目に付きやすい。利便性を考えても此所しかないだろう。こう家族に提案したのは父だった。  ドライブインMAXという飲食店を建てようという計画だった。父の計画に家族も親戚も異論を述べられなかった。なんと言っても父がバイク、リヤカ、ー自転車で苦労して商売を始めた創業者だからである。 ドライブインの建設は急ピッチに進められた。店の前面は広い駐車場とし奥に急勾配の大きな屋根を赤く塗装し、誰からも一目でドライブインとはっきり分かるようにした。  町の中心と変わらない交通道路の要所であり好立地故敷地の価格も坪あたり笹村でも最高額だった。桃子の家族はドライブインのオープンの向かって舵は切った。  この町に飲食店は一軒も無い。店に入り食事をする習慣がそのものがない。魚は売ってきたもののお客に食事を作って出すサービス、接待業は初めてだ。  桃子は新しい店のドライブインを持つことに浮き浮きもしたが、店の売り上げの減少をまた車で売りに行っても買ってくれる人が少なくなった分を埋め合わせできるものだろうかと不安もあった。  そんな期待と不安の中いよいよ店の建物は完成にまでこぎ着け開店には相当の準備期間を要したが着々と進んでいった。大きな冷蔵庫も三台用意し、メニューを考え客単価を練った。  材料費、人件費、水道光熱費、借入金返済、利息の支払い、これらを計算すると一日一ヶ月一年の又一年の売り上げ目標が定まった。  華々しく遂にオープンを迎えた。しかしなぜか客足が集まらなかった。予測した売り上げが半分にしかならない。オープン直後からドライブインの経営は頓挫の憂き目に遭う。 一ヶ月間続けた。無理かもしれない。みな黙り込み心の中でそう言っている。結局客は来ず食事を作ることも疎らで店は閑散としていた。  まるで閉店日が開業日と背中合わせの状況だった。重苦しい雰囲気の中口を開いた桃子の父はこう言った。  本業の魚も売れなくなった。ドライブインもこのまま続けたら借金だけが増えるだろう。ドライブインの建設ため相当金をつぎ込んだが、売れないと建物も調理器具や備品の数々が粗大ゴミに見えてくる。メモを夜に書いておく。朝みんなが読んだら必ず焼いて捨てておけ。  〃よこはまのしりあいをたよれ〃  これを見た家族は父がいないことに翌朝に気付く。  青春女史は大きく息をして長い話しを噛みしめるように終えた。話しは長い様だけどこれは人生の一瞬の出来事です。桃子の人生はここで終わりではないんです。  通り過ぎた不幸を世に知らしめ逆境の人を救う、これが桃子に与えられた天命です。お話しを分かりましたか、貫之さん。  そうだったんですか、夜逃げ同然で住み慣れた地を去らなければならなかったとは、何とも気の毒なことです。あの輝く笑顔にその様な哀しい出来事が起きたとは信じがたいです。  さほど大きな不幸に会うこと無く生きていける人もあれば、思わぬ不幸に見舞われる方もある。人の禍福は最後の一息を吸い終えるまで分からない。  その桃子さんはこの町の近くにいるんですね。再会をしたその時は何という言葉で始めればいいのか。 はい、この町には桃子さんをはじめ仲間の友がおります。小学生、中学生とあなたのパートナーでした、と言ってましたよ。今は清少納言と言う人です。  お二人で色々楽しい思い出を持っているようですね。貫之さんのことよく言ってましたよ。  ㊴ その後の紫式部    小学校の低学年の時黒板に書かれた算数の問題が分からなくて何時も二,三人残されていた。 みんな問題を解いて出来た順に帰っているのにまた残されて何してんのかなと式部は良く思ったと言ってました。その頃は勉強の出来ない全くの劣等生でしたね。  それが小学生の高学年の五,六年生ではクラスの委員長だったり、とても勉強熱心な小学生に大変身していた。  何が此所までこうさせた。蝶々か鬼ヤンマか蝉か鯉のぼりか、みなを驚かせた話しは有名でした  貫之さん、式部の卒業後を御存知で無いでしょう。彼女も数奇な運命に翻弄され捻られ踏み倒された人よ。中学卒業後本道吟醸市の由利女子校に入学し卒業した人です。    ここから式部の忙しい日が続く。神奈川県三浦三崎の市役所に就職し、夜は教員免許を取るため東京神田水道橋の日大に入学した。    役所が閉まる五時に久里浜から横須賀線で大船まで行き、すぐ東海道線の快速電車〃すぐ着く象〃に乗り換え東京駅についた。  そして快速のオレンジ色の俺俺電中央線に乗りお茶の水総武本線の各駅停車の黄色い電車〃もう少しだ象〃の水道橋で下車すると目の前に日大経済学部がある。  距離は遠いようだが快速電車、特急電車に乗れば意外に早い。ノンストップ〃すぐ着く象〃なんかとても便利だった。俺俺電とかいい電なんて変わった名前は賑やかな都会に来たようで面白い。 此の曲と 選んで決めた 逞しい腕がを式部を導いていた。    「ホテルカリフォルニア」のミュージックが遂に苦しそうな歌声で車内の式部の体を痺れさせる。     〃どうこれ、光源氏紫式部のサラダ記念日よ〃  そう言う式部は幸せの絶頂、恋のハレルヤ真っ最中です。    それもそのはず、急がしい毎日が続いていたさなかのある日曜日、式部は名向崎の磯を眺めていた。  山しか知らない式部に魚種のメジナ クロダイ ウミタナゴ メバル カサゴ カレイ、カワハギ イワシ アジ サバと市役所の同僚の会話が飛び交っていたのが耳から離れない。休憩時間にもなるといつも磯釣りの話題でみんなが白熱の議論を交わし騒然としている。。  あの磯が穴場だ、いや餌が違う、何年三浦三崎に住んでいるんだ、議論が熱を帯びてくる。そんな様子はとても海と磯と魚が好きな昔から漁獲に恵まれた海辺の人という証だろう。  ナメコと竹の子しか知らない山地育ちの式部には、海辺の町の人々が好奇心に満ち毎日が活気のある地域、海岸線の風景は別の世界に来たように思えた。  今日も天気はいい。波も潮風もいい感じ。きっと磯釣りに出ているだろうあの人とも。と見渡すと、いたいた今日もあの人がいた。  私のメジナクロダイのようなもんよ。一本釣りでゲットしよう。  式部は道路を降りて岩肌に身を持たせながら恐る恐る男に近づく。近寄るにつれ波のしぶきが頭の上から降ってくる。  遠くで見た目以上に、波も荒く意外と高い。近づくと様子は一変する。岩に波が砕ける震動がドーン、ドーンと重い響きとなり足と両手から伝わってくる。 、  〃潮がぶつかるポイントを狙うんだ、潮目を狙うとメジナクロダイが釣れるだ〃  あれれー、この人ったら私がもう後ろに来ているのに知らんぷりしている。何やら忙しく一人で大声まで海に向かって出してる。  すると男はとうとう釣り糸をたぐりながらゆっくりと式部の方に振り向きながら言った。    おい其処のお嬢さん、黒潮にさらわれて漂流して、青い目の人形になってアメリカ人になりたいのか、それとも黒潮の流れに逆らって貧民国のフィリピン人のお嫁さんになりたいのか。そんなとこにポツンといたりして、ジョン万次郎がさらうまえに高波にさらわれるとは奇怪な運命を待つ人よ。  何よあんたー、よくぞ侮辱してくれたわね。あんたこそ岩の足場を滑らせてボドンと海の中や。    クロダイの夕飯のおかずになりたいのか。それに何その顔、男前の後ろ髪と思いきや、目も顔もムツゴロウそっくりなんですね。 そうとも鯥五郎守光源氏とは僕のこと。まるで、女に振られて困っている?、そんな風に見えるって、その逆なんですよ。ウンカの様に女が寄ってくる。蚊取り線香でも焚いて静寂な時を楽しみたいものだ。  何よ、その高慢ちきな態度、許しません。  旅は道ずれ、釣りは二本づり、宮本武蔵の二刀流を越えた。道元禅師の免許皆伝、心身脱落の境地今会得したり。  何をいってんだか、高慢ちきに更に傲慢ち き。  ははー、父が諫早の漁師だったんだよ。諫早湾干拓で大浦漁民、有明海漁民は海を追われたんだ。千百四十七人が佐賀地裁に提訴、十次提訴で原告は計二千二十九人にもなった。暗い話となった。  かつて湾はタイラギ漁、アサリの養殖、車エビ漁、カニやシャコと水産資源の宝庫でした。  干拓とは漁民を海から陸にぶん投げてしまう暴挙なのです。そんな中で生まれた私をムツゴロウという可愛い名前にしたのです。  まあ、そうとは知らず失礼しました。私の知らないあなたのことも色々話してくれてありがとう。  人には話せないこともたくさんあるのに初対面の人に包み隠さず境遇と心境を述べる事が出来る、そんなあなたは私にとてもいい人に見えます。  あなたは私の遠い未来、あなたの背にする夕焼けは諫早の潮の匂いがします。 そうですか、今日お会いした貴方こそ山の娘ロザリアのようです。僕はもうロシア人になります。ロシアから愛を込めて。  〃男の夢さ、一本釣りは〃  こう言いたいね。あなたは山の娘、山に登る月山の月を見て、太陽は丁岳の出羽山地に沈む。  星も、棚引く雲も雨も風もみな山の幸が源です。これからは海の風、海から上り海に沈む夕日そして月と星を見ることでしょう。  さ私達の舞台は整いました、今はその準備です。しかし楽しみは最後まで残すのがいい。大物を釣り上げるのに何の苦労もしない、それは大物と言わ無い。  大きいのがいいのではありません。要は中身と外見の美しさです。黒鯛じゃ有るまいし簡単に釣れると思ったら大間違い。心に美しさが無ければ夕日もマッチ棒の火もおなじようなものよ。ありふれたムツゴロウで終わってはなりません。  山育ちの山の娘は手厳しいね。山への憧れが海への憧れに変わりますよう、海の神にお参りしなくてはいけないようだ。  あの山もずるずると蕎麦を食べる音のように、海の中に入れと、念ずればそうなる。心地いい風は森の新緑の五月風だけじゃ無い。  潮風が若者の気持ちを熱くする。貝が見ていようが魚が出てこようが、海は太古の人類の故郷。日本人の祖先は黒潮に乗ってきた海洋民族と言われています。  あなたの古代遙かな祖先は樺太までマンモスを追ってきたのかもしれないな。そうなれば狩猟民族と言うことか。山の娘のいいところは心が螺旋状に曲がっていない、素朴な素麺か冷や麦の感触がする。  綠走れり 夏料理 とは   ここにいる私の前のロザリアのこと。まっすぐ伸びた竹のように清冽した美しさが静寂の中から伝わってくるようです。燕子花をあしらったロングスカートに麦わら帽子は眩しい。  あなたといると僕の心は折れない。何でも楽しく受け止められる。遠い昔に忘れたものに偶然巡り会えたようにもなります。 私は曾てタロスケという愛犬を不慮の事故で亡くしました。その悲しみは十三周忌をむかえる今年の十月九日も変わることがないでしょう。以下の様に光源氏は昔を思い出し書き綴った。 ㊵ タロの歌・タロの四十九日 タロの四十九日の翌朝には 冷たい雨が降り続いていた 十月の九日は忘れられない 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ タロは板に挟まり死んでしまった 命の終わったタロを抱きしめて 家族のみんなが泣いていたんだ 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ 黒い幕を下ろして眠る瞳 明るい太陽は映らない あの日からもう二度と幸せはこない 目をさませタロ 蘇れタロ 亡くなったあの夜に ワーンと家の中で鳴き声を聞いた タロは自分の役割終わったように 九年の命を閉じてしまった 子供の成長を見届けるように 動かないタロ 冷たくなったタロ 横たわったままに並んだ 白いタロの骨を好は拾った 昨日の出来事のように思い出し 遠い昔のようにも思われる 生き者の命は重くて小さい 母が死んで十七年 父も死んでもう七年 みんなの体がなくなったから 一緒にタロと好はもう遊べない 春の暖かい日が注ぎ込む ポツリとタロのおうちはベランダにある おちゃわんもお薬もみんなそろえた なにか足りないタロ 写真の中のタロ そう言ってる そう言ってる ポツリとタロのおうちはベランダにある 今年の八月の十三日には みんなが帰ってくるお盆だから タロスケもご自慢の尻尾を振って 母に抱かれてタロ 父がリードを引いて きっとそうして きっとそうなる 八月の十三日にタロは帰る 再び生まれ変わって地上にいる お空の七夕様のよい知らせ ご飯もお水も沢山あって 何の心配もない 本当によかった だから心配しないでいいよと ワーンとタロはいつもそう言っている 今度タロにあったら話してやる 苦しく寂しかったねと抱きしめて 何度もタロの毛がすり切れるほど 慰めてやる 散歩の時のように だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 今度タロにあったら話してやる あああー 久しぶりねと抱きしめて これからは絶対に離しはしない だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 本当に楽しかった思い出がいっぱい キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった みんな帰ってくるタロと一緒に来る 猫のテンコロも文鳥のブンも 好の胸へ嬉しそうに駆けつけてくる みんな帰ってくる本当によかった みんなそろって本当に楽しい 楽しいこの出会いは永遠に続く ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好のもとへ帰ってくる ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好の元へ帰ってくる 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く お帰りなさい タロ テン ブン お久しぶりね タロ テン ブン お休みなさい ンー ンー ンー   ㊶ 好おとうさんタロは帰って来たよ   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   遠い遠い   はるかな国から   帰ってきた   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   しょんぼり してては   たいせつな思い出が   ゴミになってしまう   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   その時間は   とても長くて   信じられないような   時間がかかる   山を越えて   川を渡り 空をかけて   星を巡って   帰ってきた   その時間は   五十六億七千万年    ㊷ 大きなタロが 大きなタロが 大きな空に現れた   顔の黒い鼻は沖縄迄届いて ふさふさの尾っぽは北海道の国後島迄 続いている 朝日に輝くお腹の白い毛は 私の住む関東地方上空あたりか 大きなタロが 大きな空に現れた 私が生前撮ったアルバムの写真さながら うれしそうに遊んでいる 大きな空から 大きな㊲ 貫之は青春女史と出会いを果たし、     紫式部清少納言和泉式部と再会する その頃、貫之もやはり地元を離れていた。 壬生や躬恒に比べたら温和しく穏やかだった。既に、彼の実家の周りはみな敵だった。  本家親戚近所まであれこれと言いながら差別を堂々としていた。東北人の水飲み百姓に貶されてなるものか。     四面楚歌になりつつも、温和しい貫之だったが、今に見ておれ、そう言い残し家を後にした。本道吟醸地区の支援者に紹介してもらったアルバイトが束の間の収入源になった。  とある日のこと、それは偶然にやって来たのか、必然の出逢いなのか、ステージの幕は切って落とされた。ここから長い物語が始まる。  それは、バイクに乗って精肉店のアルバイトの配達をし家々を廻っていた時の事だった。  出掛ける前に、店のお上さんは良く細かく配達の道も要領も教えてくれた。  あそこの家に着くと立派なお勝手があります。玄関からは決して入らず、声もお勝手から掛けて挨拶してから配達するようにお願いします。  こう教えられてその通りに実行したときのことだった。  まああなたね、阿倍さんからお聞きしましたよ。大学を出て故郷に尽くそうとしてわざわざみんなのいやがる古い因習と柵の町に来られたんですってねえ。    阿倍さんとは壬生のアルバイト先の中国湖北省武漢出身の阿倍仲麻呂精肉店のことだった。   はい、暫くこのお仕事のお手伝いで配達に伺います。どうぞお見知りおき下さい。  まあ、学生さんのように肩ぐるしい挨拶な事。あんまりこちこちだと肩こるわよ。  まあ、人には言いがたいようなわけも出来事もあるから、そんな事承知よ、出逢いは縁よ、気を楽にしましょう。  あなたもクヨクヨせず楽しく生きましょう。たった一度の人生だから。  あなたの少し陰りのある目差しは、にしきのあきらに似ているわね。空に太陽がある限り、限りある人生でこう歌いこう叫んで、こんな長閑な昼下がりは体全体で心ゆくまで踊ってみたいわ。  あなたの頑張りもよく分かるるわよ。それぞれの与えられた道と境遇でみんな生きているのよ。  あなたちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ。すぐ準備するからお仕事の最中だからね。ほんの二,三分よ、いいこと。  それから、次の家の配達に廻っていた。来る日も来る日も配達の仕事が続いた。  単調な日々だったが、仕事が無く腐りきった魚の様な身の上に現れた一輪の花。目の前に天から降り注いで地中から生まれ出でて来たかのような花。  川を流れ海岸に着く。この地の自分がいる所に流れ着いた希望の光を感じた。仕事がある人と無い人にはこんな違いが出てくる。  周りは秋田の寒風と非人情な暴漢しかいないと思っていたが、世の中は広い。探せば人情に突き当たるものなのか。  それからしばらく配達の仕事に追われていた。ある日店主の仲麻呂さんに連れられて、海岸線にある苫屋みたいにな殺風景な作業場に行った時のこと。  そこは牛、豚、鶏の屠殺場だった。その場にはなんと最初に肉の配達をしたにしきのあきらファンの彼女がニコニコして迎えてくれた。    どう怖い、私は最初とても怖くて一年間は夢に見たのよ。牛の悲鳴、豚の逃げ回る様、鶏の目が恨めしそうに飛び出したり、食べられる運命の生き物の最後の姿を。    私は食われるためにそして人間の食事のおかずになるしかない。  食う者は食われた者の怨霊を毎夜聴くことになる。人間も人間社会に於いても然り、この法則から逃れられない。    動物たちにこう言って手を合わせるのよ。極楽天国の門は険しく辛いと。  地獄の苦しみを身に背負った生き物だけがこの門を叩き押して開き清浄な世界に入場できる資格を得るのです。    食う者と食われ者は、虐げる人と虐げられる人の関係でもあるんです。  人は一週間飲まず食わずでいたら死ぬでしょう。人の命とは何と儚く作られたのでしょうか。  一杯の水一杯のご飯と西欧の国では数詞を被らせて、一杯のコーヒー等と言う。  時には一杯が命を救う一滴にならんことを意味します。人は食なくして生きられません。まるで無用の数詞は死ぬべき者と死者に用意された一杯のコーヒーです。神を区分する衣食住には不用。  私達の目指すコミュニティーにはモデルは有りません。強いて言えば、一人一人の七人の個性が作るのです。あなたを入れて七人の侍です。  かつて、宮崎県児湯郡木城村、埼玉県入間郡毛呂山町に建設を目指した先人はおりますがその様な村ではありません。  文明が高度に発達し医療教育社会福祉インフラの充実度仕事の獲得、住みやすい県のナンバーワンは何処でしょう。  今では童話か演劇の舞台たると言えるでしでょう。あなたも一度でも考え空想したことがありますか。実現は可能です。人口七人のトトロです。  ここの私達の住む地域の中に、小さなとても小さな狭山丘陵に囲まれたトトロの森を建設します。  ああ広いこの空、私達の目的を達成する地は、蛙が飛び込む井の大きさぐらいにしかならないかもしれない。しかし大きさは絶対的ではないでしょう。大きさは人の心の持ちようで、他に変えることの出来ない物を得る入り口です。  私は大空に向かいこう祈ります。大空よあなたも私も限りなく広い。大いなる心を持ち大地を草花の綠で潤して欲しい。私の成長はあなたの成長、私の生涯はあなたの虚空そのものです。  人存在する故に神在り。これが私どもの究極の根本思想です。我々に死ぬという運命が待ち受けている、それが何でしょう。    我々は子孫に語り続けられ永遠に生きるのです。しかし残酷な者がこの世に存在します。アダムとエバの子孫だとは、ノーモア広島長崎のレベル。そして油煮えたぎる羊好色家アブラムの子孫とは、考えるのもけがわらしい。  人の人たる系統血筋は人だけに与えられた特質なんです。罪に対する報いは死である。実に窮屈な見方です。  人に原罪など存在しません。あるのは天地を敬う本来の崇拝だけです。  人を無用にして裁くものが裁かれる対象です。私達には悪人も善人もおりません。だれがどのような根拠でこう呼ぶのでしょう。肩書、地位、出自これらはみな人の重荷であり、足枷であり、頚木なのです。  この地は私達が築き上げる王国でありコロニ(colonie) と呼ぶにふさわしいでしょう。 そういう彼女は青春女史と言う人だった。彼女の主人は青春歌謡曲という音楽事務所の社長仙昌夫という人で、かつてスターを輩出させ巨万の富を得た。  しかし好いことは長続きせず脱税疑惑、政治献金と政界への進出の失敗で散財した。そして本業の音楽事務所からはスターがピタリと出なくなり倒産した。 青春女史が豪華な暮らしから目を覚した時は、自身が池袋や京都のバーやナイトクラブの酌婦になっていた。    私達は花の28組(にっぱちぐみ)会を作っているのよ。お花見をしたり料理をしたり、趣味のダンスや歌謡曲を歌ったりそれは楽しいわよ。出雲国阿国さんにも会えるわ。スポンサーもちゃんといるのよ。世阿弥さんや利休さん、そして新しいところでは歌麿さんなどよ。変わったところでは隆の里さんかしら。  ねえあなた、世間とは捨てたもんじゃ無いわよ。友達にあなたの出身地鳥海笹髙原を話したら、まあ驚いていた。  姓名は結婚し変わってしまいましたが、紫式部清少納言和泉式部、桜桃子、高橋燕子花さん方はみなあなたのこと知っていましたよ。嫁いでも再会できる日を待っていますと伝言をも預かっています。  なんと同窓生で小学校中学校九年間の竹馬の友だなん、て。いいわね。  エエッ、そんなことあるんですか。    偶然なのか誰かの導きか定かでは無いが不思議とはこのこと。貫之は驚きのあまり絶句する。こんな事が世に存在しているなんて。  燦めく中学時代と幼い小学時代に毎日顔を会わせた。もうあれから十年、十一年も経ている。奇遇と言うのにも当てはまらない。 女史さん、どうしてこうも不思議なことが起きる物でしょう。首を傾げても思いを巡らせても不可解と言いましょうか、この偶然はこの上なく幸いをもたらしてくれていますが、なにか話が余りにもよく出来すぎてやや怖いです。  おほほー、何をか狼狽えるようで可笑しいですよ。あなたはまるで夢を見ている中で私とこうしてお話していているんではないです。  世の中の不幸が貴方様に落ちかかってきたというのでも無いのです。私には足も手もあります、どうぞ手を握り確かめて下さい。  熱い息もあります。ブラウスの下には心臓と乳房もあります、どう大きいでしょ。完全生身の女ですもの。  イッチ ラブリィ(It`s lovely) これが私たちの合い言葉よ。美しくない世にあえて美しく生きる。醜い世にあえて美しく生きる。  差別と圧迫、人権蹂躙のこの地と人々にも笑顔で接する。仏を越える仏にはなれないが、私達は天女よ、世を照らす、万物と万世は私達の源、源流であれ。このように祈念しているのです。 ㊳ 桜桃子の物語  ねえ、貫之さん。私達がなぜこのような心境になりそしてあえて困難に立ち向かうこの心を知りたいでしょう。  そうそうあなたの境遇にもある意味では似ているわよ。人には言いがたいような事情と奇妙な運命があるのよ。  あなたはもう私達の仲間だからいいでしょう、プライベートの中身まで踏み込まないと理解できないでしょう。  お互いの秘密は此所ではありません。それどころか皆がお互いを理解して固い絆が出来ています。この友愛は大地が割れ裂けてもビクともしません。話してもらい分かって欲しい、隠す物何もない。世の常識とは相容れない。みなこう申しております。  あなたの中学三年生の時のクラスメイトの桜桃子さんを知っているでしょう。あの人もかわいそうな人よ。数奇な運命があったんですもの。しかし彼女の強さはこの目を覆う苦境の中でも負けずに生きたんです。  〃いいじゃないの、今がよけりゃ いいじゃないの、しあわせならば〃 佐良直美の歌が自分の人生と言ってました。皆が大笑いしたんです。余りにもあっけらかんに明るい桃子に悲しみと同情を忘れて、吹き出すやら、転げ回るやら、それは楽しい人です。  燕子花さんは、好いわね、私達のコミュニティー歌にピッタリよ、というので私達の共有の讃歌になったんです。  村に二軒しかない魚屋さんが彼女の家の家業よ。勝治さんも良く学校の帰り彼女の店に魚や乾物を買いに来ていたことを思い出すと言っていたわよ。  彼女が言うには、いつもクラスと学校でしか目を合わせたことが無い貴方が私に家の店に来てオドオドしたような目をして私に問いかけるのはなぜ?。あのクラスにいる威風堂々とした姿が、そう思ったと言っていましたよ。  そうですか、オドオドして彼女を見ていたんですね。利発で顔がまん丸で今流のチビマル子が中学生になったようで可愛かったんです。    はいはいご馳走様、今の話しをお伝えしますよ、桃子のうれしそうな笑顔今すぐご覧あれ。幸せよ、今この時はあの過去の出来事をまるで生き物のように再びの出逢いを作る。理由も不可思議も無い、いい世の中の風が私達に吹いているのです。  此所までこのように心を入れ変え辿り着くくには長い道のりがあるんです。中学卒業後はお互いですが、同級生のみなのその後のことを知らないでしょう。最初は私の尊敬する桃子さんからお話をしていきましょう。    桃子は三人兄弟姉妹でした。高校卒業後家業の魚屋をひとつ上の姉と一つ下の弟とそして両親の五人で繁盛するお店の手伝いに追われていたのよ。  この時代のころともなれば、村人の現金収入も徐々に増え始め、お盆と正月だけで無く日常的に魚を買い食べれるようになっていました。  仁賀保、金浦,本荘港、秋田港、入道崎に至るまで競って問屋が桃子の〃さくらかつお商店〃へ魚を卸しに自動車で押し寄せて来たんです。その賑わいは喩えようも無い、押すな押すなの行列が桃子の店はひとだかりです。村人は新鮮で安く旨い魚の味をこの桃子の店で買った魚から知ったんです。  何ですか、お父さんは将来のためだなんて、そんな貯金までして。消費税や付加価値税の先取りはだめよ。お客様から余計なお金を頂いたら罰あたります。消費税の時代はまだまだ先です。  古新聞雑誌は板金に等しいんだ。魚を包む紙が無いんだ、包装紙がこれほど大事なのか、身をもって知る。木箱なんかはもう高級魚の贈答用にしか使えない。高価で手に入らない。  お前の中学高校のノートが沢山あるなあー、少し小さいが魚を包むのに使うから、いいか。   ダメー、絶対。  とは言え鰰一箱二百五十円、木箱百円、これでは魚が高いか木箱が高いか、魚を買って貰うのか木箱を販売しているのか分からなくなった。これに悩む桃子がいた。魚は飛ぶように売れこれにつられて雑貨類も売れる。  商売は順調で冷蔵庫も二台、三台と増やし最新鋭のショーケース冷蔵庫まで揃えた。  これを見たお客は硝子の箱の中で魚がコチコチになって泳いでいる、都会でも数少ない小型水族館だそうだ。噂は広まり何処に落ち着くか誰にも分からない。    朝八時に開店し昼の十二時には完売、こういう日が続く。魚屋には大体毎日同じ物が並んでいた。秋刀魚、烏賊、ロウソクホッケ、鰯、鱈など季節の物も多数有る。よく見かけたのが塩辛だ。辛とは塩味の事だった。  昆布、塩、醤油、味噌、納豆と様々あり缶詰類もあった。店の品揃えの多さは店の繁盛ぶりを良く表していた。店に活気があると町にも活気が流れてくる。村人の顔も大まかな話しぶりといい、歩き方も豪快に見えてくる。  桃子の店も町と呼ばれる他の店が何軒か並んでいる内の一つだったが道路を挟んでややはす向かい方向には村の支所もあったから中心だったろう。    桃子の店から百メートル少し離れてもう一軒の魚屋があり、その間に二軒の本屋兼文房具店、そして二軒の旅館がありその一つが黛淑子の生家である。  わずか四百メートルの距離を挟み道路の上方向、下方向に百五十メートルぐらい離れ郵便局と村の役場の支所があり、その頃はまだ珍しいい小さな電気店もあった。  電気製品と言ってもラジオを見たという記憶しか無い。また自転車店もあった。ブリヂストンという大きな立て看板が店を飾っていた。  この四百メートルそこそこの場所に農家の家並みに囲まれた約六百世帯の人々が買い物をする商店があった。  高度成長期に後押しされた景気が加熱し、最後の坂を登り終わるまで相当の時間があった。しかし人口だけが減少していくという曾て経験したことのない事態が進行していた。いいことはいつまでも続かない、悪い出来事もそうだが。  村人の収入が増えるにつれ子どもの出生率が激減した。曾て四クラスもあったのが小中学校のスタイルだった。  やがて時が移り変わり人々の意識も世の中の仕組みも変わっていく中で、じわじわ三クラスになり、二クラスとなり学級の松組、竹組、梅組という呼び名が消えた。あっという間に滑るように学校に行く子供がいなくなった。村の人口が急激に減少していく原因を作る。  加えて車を持つ農家が増え近隣の矢島、さらに本荘迄行き魚も衣服も買ってくるように生活スタイルが徐々に変化してくる。  これに対して村の町にある桃子の店ともう一軒の長介魚店は店に来る客を待たず車で店を出て朝早く売りに行商を始めた。  〃さくらかつお商店〃  と大声で村の道をエンジンで駆け廻る。だが昔の売れ行き繁盛は何処に消えた。車には氷に包まれた魚がざくざく出てくる。積んだ魚はいっこうに減らない。買う人の影が道にない。  まさか留守なのかこんな早い朝に何処へ出かけるのか。つい最近まで魚を積んだライトバンに人だかりとなって来ていたのにどうしたことか。  魚は木箱の中で恨めしそうに目を開く。氷はどんどん解ける。車からはその溶け出した水がドカドカ落ち始めてくる。  桃子の家は家族会議で店を縮小する決断に迫られた。この魚屋は桃子の父が二十代の青年の頃珍しくバイクに載せ売った事もある輝かしい歴史を持っている。もう二十年も前のことだが。  矢島、本荘の魚より高いのは当たりまでだ。此所まで持ってくるのに輸送コスト、車代ガソリン代、人件費は当然多くかかる。  農協も地元の信用金庫も欲しいだけ金は貸してくれると言っている。  農協の横の車が通る道路の前に空き地がある。笹村野宅の丁方向と松の木峠に向かう湯沢の方向に行くY字に自動車道路が交差するところがいい。  そうすれば両方向に行きまた二方向から帰るお客にも目に付きやすい。利便性を考えても此所しかないだろう。こう家族に提案したのは父だった。  ドライブインMAXという飲食店を建てようという計画だった。父の計画に家族も親戚も異論を述べられなかった。なんと言っても父がバイク、リヤカ、ー自転車で苦労して商売を始めた創業者だからである。 ドライブインの建設は急ピッチに進められた。店の前面は広い駐車場とし奥に急勾配の大きな屋根を赤く塗装し、誰からも一目でドライブインとはっきり分かるようにした。  町の中心と変わらない交通道路の要所であり好立地故敷地の価格も坪あたり笹村でも最高額だった。桃子の家族はドライブインのオープンの向かって舵は切った。  この町に飲食店は一軒も無い。店に入り食事をする習慣がそのものがない。魚は売ってきたもののお客に食事を作って出すサービス、接待業は初めてだ。  桃子は新しい店のドライブインを持つことに浮き浮きもしたが、店の売り上げの減少をまた車で売りに行っても買ってくれる人が少なくなった分を埋め合わせできるものだろうかと不安もあった。  そんな期待と不安の中いよいよ店の建物は完成にまでこぎ着け開店には相当の準備期間を要したが着々と進んでいった。大きな冷蔵庫も三台用意し、メニューを考え客単価を練った。  材料費、人件費、水道光熱費、借入金返済、利息の支払い、これらを計算すると一日一ヶ月一年の又一年の売り上げ目標が定まった。  華々しく遂にオープンを迎えた。しかしなぜか客足が集まらなかった。予測した売り上げが半分にしかならない。オープン直後からドライブインの経営は頓挫の憂き目に遭う。 一ヶ月間続けた。無理かもしれない。みな黙り込み心の中でそう言っている。結局客は来ず食事を作ることも疎らで店は閑散としていた。  まるで閉店日が開業日と背中合わせの状況だった。重苦しい雰囲気の中口を開いた桃子の父はこう言った。  本業の魚も売れなくなった。ドライブインもこのまま続けたら借金だけが増えるだろう。ドライブインの建設ため相当金をつぎ込んだが、売れないと建物も調理器具や備品の数々が粗大ゴミに見えてくる。メモを夜に書いておく。朝みんなが読んだら必ず焼いて捨てておけ。  〃よこはまのしりあいをたよれ〃  これを見た家族は父がいないことに翌朝に気付く。  青春女史は大きく息をして長い話しを噛みしめるように終えた。話しは長い様だけどこれは人生の一瞬の出来事です。桃子の人生はここで終わりではないんです。  通り過ぎた不幸を世に知らしめ逆境の人を救う、これが桃子に与えられた天命です。お話しを分かりましたか、貫之さん。  そうだったんですか、夜逃げ同然で住み慣れた地を去らなければならなかったとは、何とも気の毒なことです。あの輝く笑顔にその様な哀しい出来事が起きたとは信じがたいです。  さほど大きな不幸に会うこと無く生きていける人もあれば、思わぬ不幸に見舞われる方もある。人の禍福は最後の一息を吸い終えるまで分からない。  その桃子さんはこの町の近くにいるんですね。再会をしたその時は何という言葉で始めればいいのか。 はい、この町には桃子さんをはじめ仲間の友がおります。小学生、中学生とあなたのパートナーでした、と言ってましたよ。今は清少納言と言う人です。  お二人で色々楽しい思い出を持っているようですね。貫之さんのことよく言ってましたよ。  ㊴ その後の紫式部    小学校の低学年の時黒板に書かれた算数の問題が分からなくて何時も二,三人残されていた。 みんな問題を解いて出来た順に帰っているのにまた残されて何してんのかなと式部は良く思ったと言ってました。その頃は勉強の出来ない全くの劣等生でしたね。  それが小学生の高学年の五,六年生ではクラスの委員長だったり、とても勉強熱心な小学生に大変身していた。  何が此所までこうさせた。蝶々か鬼ヤンマか蝉か鯉のぼりか、みなを驚かせた話しは有名でした  貫之さん、式部の卒業後を御存知で無いでしょう。彼女も数奇な運命に翻弄され捻られ踏み倒された人よ。中学卒業後本道吟醸市の由利女子校に入学し卒業した人です。    ここから式部の忙しい日が続く。神奈川県三浦三崎の市役所に就職し、夜は教員免許を取るため東京神田水道橋の日大に入学した。    役所が閉まる五時に久里浜から横須賀線で大船まで行き、すぐ東海道線の快速電車〃すぐ着く象〃に乗り換え東京駅についた。  そして快速のオレンジ色の俺俺電中央線に乗りお茶の水総武本線の各駅停車の黄色い電車〃もう少しだ象〃の水道橋で下車すると目の前に日大経済学部がある。  距離は遠いようだが快速電車、特急電車に乗れば意外に早い。ノンストップ〃すぐ着く象〃なんかとても便利だった。俺俺電とかいい電なんて変わった名前は賑やかな都会に来たようで面白い。 此の曲と 選んで決めた 逞しい腕がを式部を導いていた。    「ホテルカリフォルニア」のミュージックが遂に苦しそうな歌声で車内の式部の体を痺れさせる。     〃どうこれ、光源氏紫式部のサラダ記念日よ〃  そう言う式部は幸せの絶頂、恋のハレルヤ真っ最中です。    それもそのはず、急がしい毎日が続いていたさなかのある日曜日、式部は名向崎の磯を眺めていた。  山しか知らない式部に魚種のメジナ クロダイ ウミタナゴ メバル カサゴ カレイ、カワハギ イワシ アジ サバと市役所の同僚の会話が飛び交っていたのが耳から離れない。休憩時間にもなるといつも磯釣りの話題でみんなが白熱の議論を交わし騒然としている。。  あの磯が穴場だ、いや餌が違う、何年三浦三崎に住んでいるんだ、議論が熱を帯びてくる。そんな様子はとても海と磯と魚が好きな昔から漁獲に恵まれた海辺の人という証だろう。  ナメコと竹の子しか知らない山地育ちの式部には、海辺の町の人々が好奇心に満ち毎日が活気のある地域、海岸線の風景は別の世界に来たように思えた。  今日も天気はいい。波も潮風もいい感じ。きっと磯釣りに出ているだろうあの人とも。と見渡すと、いたいた今日もあの人がいた。  私のメジナクロダイのようなもんよ。一本釣りでゲットしよう。  式部は道路を降りて岩肌に身を持たせながら恐る恐る男に近づく。近寄るにつれ波のしぶきが頭の上から降ってくる。  遠くで見た目以上に、波も荒く意外と高い。近づくと様子は一変する。岩に波が砕ける震動がドーン、ドーンと重い響きとなり足と両手から伝わってくる。 、  〃潮がぶつかるポイントを狙うんだ、潮目を狙うとメジナクロダイが釣れるだ〃  あれれー、この人ったら私がもう後ろに来ているのに知らんぷりしている。何やら忙しく一人で大声まで海に向かって出してる。  すると男はとうとう釣り糸をたぐりながらゆっくりと式部の方に振り向きながら言った。    おい其処のお嬢さん、黒潮にさらわれて漂流して、青い目の人形になってアメリカ人になりたいのか、それとも黒潮の流れに逆らって貧民国のフィリピン人のお嫁さんになりたいのか。そんなとこにポツンといたりして、ジョン万次郎がさらうまえに高波にさらわれるとは奇怪な運命を待つ人よ。  何よあんたー、よくぞ侮辱してくれたわね。あんたこそ岩の足場を滑らせてボドンと海の中や。    クロダイの夕飯のおかずになりたいのか。それに何その顔、男前の後ろ髪と思いきや、目も顔もムツゴロウそっくりなんですね。 そうとも鯥五郎守光源氏とは僕のこと。まるで、女に振られて困っている?、そんな風に見えるって、その逆なんですよ。ウンカの様に女が寄ってくる。蚊取り線香でも焚いて静寂な時を楽しみたいものだ。  何よ、その高慢ちきな態度、許しません。  旅は道ずれ、釣りは二本づり、宮本武蔵の二刀流を越えた。道元禅師の免許皆伝、心身脱落の境地今会得したり。  何をいってんだか、高慢ちきに更に傲慢ち き。  ははー、父が諫早の漁師だったんだよ。諫早湾干拓で大浦漁民、有明海漁民は海を追われたんだ。千百四十七人が佐賀地裁に提訴、十次提訴で原告は計二千二十九人にもなった。暗い話となった。  かつて湾はタイラギ漁、アサリの養殖、車エビ漁、カニやシャコと水産資源の宝庫でした。  干拓とは漁民を海から陸にぶん投げてしまう暴挙なのです。そんな中で生まれた私をムツゴロウという可愛い名前にしたのです。  まあ、そうとは知らず失礼しました。私の知らないあなたのことも色々話してくれてありがとう。  人には話せないこともたくさんあるのに初対面の人に包み隠さず境遇と心境を述べる事が出来る、そんなあなたは私にとてもいい人に見えます。  あなたは私の遠い未来、あなたの背にする夕焼けは諫早の潮の匂いがします。 そうですか、今日お会いした貴方こそ山の娘ロザリアのようです。僕はもうロシア人になります。ロシアから愛を込めて。  〃男の夢さ、一本釣りは〃  こう言いたいね。あなたは山の娘、山に登る月山の月を見て、太陽は丁岳の出羽山地に沈む。  星も、棚引く雲も雨も風もみな山の幸が源です。これからは海の風、海から上り海に沈む夕日そして月と星を見ることでしょう。  さ私達の舞台は整いました、今はその準備です。しかし楽しみは最後まで残すのがいい。大物を釣り上げるのに何の苦労もしない、それは大物と言わ無い。  大きいのがいいのではありません。要は中身と外見の美しさです。黒鯛じゃ有るまいし簡単に釣れると思ったら大間違い。心に美しさが無ければ夕日もマッチ棒の火もおなじようなものよ。ありふれたムツゴロウで終わってはなりません。  山育ちの山の娘は手厳しいね。山への憧れが海への憧れに変わりますよう、海の神にお参りしなくてはいけないようだ。  あの山もずるずると蕎麦を食べる音のように、海の中に入れと、念ずればそうなる。心地いい風は森の新緑の五月風だけじゃ無い。  潮風が若者の気持ちを熱くする。貝が見ていようが魚が出てこようが、海は太古の人類の故郷。日本人の祖先は黒潮に乗ってきた海洋民族と言われています。  あなたの古代遙かな祖先は樺太までマンモスを追ってきたのかもしれないな。そうなれば狩猟民族と言うことか。山の娘のいいところは心が螺旋状に曲がっていない、素朴な素麺か冷や麦の感触がする。  綠走れり 夏料理 とは   ここにいる私の前のロザリアのこと。まっすぐ伸びた竹のように清冽した美しさが静寂の中から伝わってくるようです。燕子花をあしらったロングスカートに麦わら帽子は眩しい。  あなたといると僕の心は折れない。何でも楽しく受け止められる。遠い昔に忘れたものに偶然巡り会えたようにもなります。 私は曾てタロスケという愛犬を不慮の事故で亡くしました。その悲しみは十三周忌をむかえる今年の十月九日も変わることがないでしょう。以下の様に光源氏は昔を思い出し書き綴った。 ㊵ タロの歌・タロの四十九日 タロの四十九日の翌朝には 冷たい雨が降り続いていた 十月の九日は忘れられない 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ タロは板に挟まり死んでしまった 命の終わったタロを抱きしめて 家族のみんなが泣いていたんだ 寂しそうなタロ 悲しそうなタロ もう一人で もう一人で 一人で留守番をしなくていいよ 黒い幕を下ろして眠る瞳 明るい太陽は映らない あの日からもう二度と幸せはこない 目をさませタロ 蘇れタロ 亡くなったあの夜に ワーンと家の中で鳴き声を聞いた タロは自分の役割終わったように 九年の命を閉じてしまった 子供の成長を見届けるように 動かないタロ 冷たくなったタロ 横たわったままに並んだ 白いタロの骨を好は拾った 昨日の出来事のように思い出し 遠い昔のようにも思われる 生き者の命は重くて小さい 母が死んで十七年 父も死んでもう七年 みんなの体がなくなったから 一緒にタロと好はもう遊べない 春の暖かい日が注ぎ込む ポツリとタロのおうちはベランダにある おちゃわんもお薬もみんなそろえた なにか足りないタロ 写真の中のタロ そう言ってる そう言ってる ポツリとタロのおうちはベランダにある 今年の八月の十三日には みんなが帰ってくるお盆だから タロスケもご自慢の尻尾を振って 母に抱かれてタロ 父がリードを引いて きっとそうして きっとそうなる 八月の十三日にタロは帰る 再び生まれ変わって地上にいる お空の七夕様のよい知らせ ご飯もお水も沢山あって 何の心配もない 本当によかった だから心配しないでいいよと ワーンとタロはいつもそう言っている 今度タロにあったら話してやる 苦しく寂しかったねと抱きしめて 何度もタロの毛がすり切れるほど 慰めてやる 散歩の時のように だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 今度タロにあったら話してやる あああー 久しぶりねと抱きしめて これからは絶対に離しはしない だから心配しないでいいよと ワーンと写真の中のタロは言ってる 本当に楽しかった思い出がいっぱい キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった キラキラ輝く宝石のように タロのタロの思い出が星と輝く タロが帰ってきた本当によかった みんな帰ってくるタロと一緒に来る 猫のテンコロも文鳥のブンも 好の胸へ嬉しそうに駆けつけてくる みんな帰ってくる本当によかった みんなそろって本当に楽しい 楽しいこの出会いは永遠に続く ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好のもとへ帰ってくる ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに ワーンとニャーンとピィーと嬉しそうに みんな好の元へ帰ってくる 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く 本当に楽しかった思い出がいっぱい この祈りは天まで届き みんなの思いでは星と輝く お帰りなさい タロ テン ブン お久しぶりね タロ テン ブン お休みなさい ンー ンー ンー   ㊶ 好おとうさんタロは帰って来たよ   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   遠い遠い   はるかな国から   帰ってきた   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   しょんぼり してては   たいせつな思い出が   ゴミになってしまう   好おとうさん   タロは帰ってきたよ   その時間は   とても長くて   信じられないような   時間がかかる   山を越えて   川を渡り 空をかけて   星を巡って   帰ってきた   その時間は   五十六億七千万年    ㊷ 大きなタロが 大きなタロが 大きな空に現れた   顔の黒い鼻は沖縄迄届いて ふさふさの尾っぽは北海道の国後島迄 続いている 朝日に輝くお腹の白い毛は 私の住む関東地方上空あたりか 大きなタロが 大きな空に現れた 私が生前撮ったアルバムの写真さながら うれしそうに遊んでいる 大きな空から 大きなタロが 切れ長の目で私を見つめている かつてお手をした柔らかいタロの手が 私の目の前に降りてきて今にも触れそう   だ 大きなタロは 夢か幻か奇跡か はた天国の風景なのか 大きなタロは 大きな空で うれしそうに遊んでいる アルバムの写真さながら (以上)タロが 切れ長の目で私を見つめている かつてお手をした柔らかいタロの手が 私の目の前に降りてきて今にも触れそう   だ 大きなタロは 夢か幻か奇跡か はた天国の風景なのか 大きなタロは 大きな空で うれしそうに遊んでいる アルバムの写真さながら (以上)