犍陀多と言う猫の話し No.2

☆1917年6月7日             

  テンコロー、やったぞ、雛を巣に戻した。もう早く降りてこい、危ないぞ。

 とそう言い終わらないうちにテンコロの片手が伸びてピクリともしない。
その時糸が切れたように真っ逆さまに地面に叩きつけられたかと思いきや、作造さんの手にどッすり落ちて来たところをガッチリ受け止められた。   
 他特になし

1917年6月8日             

  作造さんは雀の雛を助けたテンコロをいたく気に入り、家族にこれからは玉のテンコロを改名し〃犍陀多〃と呼ぶ、こう言ったそうだ。
その晩飼い猫の犍陀多は秋刀魚の骨のおかずを与えられ満足そうに食べた後体を横たえて疲れ切った顔をしていたが安心して眠りについたそうだ。
 他特になし

☆1917年6月9日  
 
 この話を聞いた天神に住む作造さんの甥の菊造は皆に言った。
すると若い衆がそれは面白い、その賢い猫がどんな顔してるのやら。
猫は雑食性でネズミでも小鳥でも手当たりしだい鋭い爪をぐさりと刺して食べるんだ。 
それもそうだが何故名前が犍陀多なのか知りたいもんだ。
猫に菅野の名字と名前まで与えた作造さんとはどんな人物やら。
江戸時代の農民がご褒美として名字帯刀を許された話しみたいだ。
  他特になし

☆1917年6月10日             

 作造さんは自信満々です。 
若い衆の来訪を待っていましたとばかり表情をニコニコさせた。
勢揃いして興味深々として来た若者達を迎えて遂に口火を切りテンコロの手柄話を始めた。
  他特になし

☆1917年6月11日

  よくぞ聞きに来てくれた。
若者は好奇心旺盛で謙虚に人の話を聞く能力が備わっている。
この質問に答えなければこの話しは終わらないなあー。
あっははー、と愉快そうに笑った。
  他特になし

☆1917年6月12日

 隅田川灰汁之介と言う作家がいますね。
犍陀多という強盗、殺人火付け男の悪行はお釈迦様がよく御存知でした。
しかしこの悪人にも生涯たった一度だけだが良い行いをしたことがある。

 山道を歩いていたとき蜘蛛が足下にいた。ええいー邪魔だあ,早速踏みつけようとしましたが、上げた足が天の磁石に吸い付けられたようにピタリと止まりました。
  他特になし

☆1917年6月13日             

  待てよー、俺は今まで一度たりとも好い行いをしたことがない。
強盗をし人の財産金品を悉く略奪した。
ところがどうだ、悪銭身につかずの諺通り盗んだ金も財産も引き放たれた矢より早く我が元を去り気がついたときは一文も懐に残っていなかった。
これは何十回もいや生涯で百回を超えるのか。
同じ事を繰り返すのは同じ過ちではないか。つくづく強盗・夜盗の己が不憫だ。
 他特になし

☆1917年6月14日              
  
 この有様をお釈迦様は蓮の池からじっと見つめていたのです。
お釈迦様は何を思ったのか、金色の蜘蛛の糸をスルスルと犍陀多の居る地獄の亜硫酸の海に下ろし始めていたのです。
(つづく)